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(第22回)青森弁で喋るジョン・レノン〜恐山イタコ訪問記

 恐山に行けば死者に逢える。そんなイメージはいつ生まれたのだろうか。

 25年も前、まだ若い時に父を亡くした私に、当時の相棒であった米国人フォトグラファーが、目を輝かせながら、「そうだ恐山に行ってみよう、そうすればキミのファーザーに逢える」と、まだ49日法要もすましていない厳寒の2月に、そう言われた。

 まだ日本に来たてで日本文化に興味津々のその相棒に、なんだかいろんなことを説明するのが煩わしくて、「うん、まだ、恐山に行っても、うちの父親はいないんだ」とだけ、返事をした。もちろん、冬季である2月は、恐山は積雪のため全山が閉鎖されている。

 恐山は、下北半島中心部にある「宇曽利湖」と、その外輪山の総称である。古くからの名称「宇曽利山(うそりざん)」が、この地方の訛りで「恐山(おそれざん)」となった。死者が媒介者を通じて蘇る「イタコの口寄せ」などで知られるように、恐山は死せしものが集まる「霊のスポット」というイメージが強い。だが、実際にこの地に降り立ってみると、字面ほどのおどろおどろしさはない。そもそも、この地方に死者が集まるとされた謂れは、それほどまでにこの山が奥深く(冬季閉鎖)、滅多に人が立ち入れない場所だったからである。

 件のイタコという存在も、戦後少しずつ発生してきたものを昭和30年代頃、メディアで取り上げるようになり、「観光の目玉」として発展してきたに過ぎない。ちなみに、このイタコは菩提寺との関わりは一切なく、いわば縁日の出店のようなかたちで、敷地周辺に曖昧に存在している。

 恐山は、私の目には、むしろ霊的なものを感じない「さわやかな」場所に映る。恐山菩提寺院代である禅僧・南直哉氏は、著書『恐山』(新潮新書)のなかで、この霊場の意味を、「恐山は超自然的なものが発散されるパワースポットではない。言うなれば、力も意味もない『パワーレススポット』。生者が持っているには重すぎる『死者に対する想い出』を預かってもらうための巨大なロッカー」(主旨)であると総括している。

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 はじめての恐山で、亡くなった縁者を思い、少しセンチメンタルな気分になった。だが、また同時に、預けてあった「青春」に会えたような清々しさを感じた。

 ここに死者が集まるのかどうかは、私にはわからない。真実は参拝する人間のこころのなかにあるものだし、失った悲しみを癒やすものは、簡単に時や空間を超える。

 なんらかの「光を観る」という点においては、ここ恐山もじゅうぶんに観光地である。実際、大型の観光バスで多種多様な人々が、この山この寺をひっきりなしに訪れている。

 その晩、むつ市の居酒屋でひとりのご隠居に出会った。ご隠居は、その店のカウンターの隅に飾られた自作のランプシェードを指差しながら、これは「わたしが作ったんだ」と言った。

 生まれてからずっと下北半島にいる。山に貴重な山菜を採りにいき、海には悠久の波に洗われたガラス片(シーグラス)を取りにいく。とうの昔に仕事を引退した今、先に逝った人を見つめ、若いころの想い出に浸るように、のんびりと拾い集めると言う。

 死者の残像や生者の若々しい気持ちが行き交う下北半島は、いろいろな人の「青春」を預かる。シーズンオフらしく、恐山のイタコには出会えなかった。青森弁で喋るジョン・レノンに会ってみたかったけど、誰もいなかった。

〜2018年10月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂

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曹洞宗の寺院、恐山菩提寺。恐山大祭ではイタコの口寄せが観られる。

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