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再録「あのときアレは神だった」〜琴櫻

テレビアニメ、漫画、スポーツ、アイドル歌手などなど。
実在の人物から架空のものまで、
昭和にはさまざまな「キャラクター」が存在した。
われわれを楽しませたあの「神」のようなキャラクターたち。
彼ら、彼女たちの背後にはどんな時代が輝いていたのだろうか。
懐かしくて切ない、時代の「神」の軌跡を振り返る。

(2016年より、夕刊フジにて掲載)

今年(2016年)の大相撲初場所で、琴奨菊が日本人力士として久しぶりに優勝を果たし、おおいに話題となった。琴奨菊の「相撲的なご先祖様」が、第53代横綱・琴櫻(先代の佐渡ヶ嶽親方)である。

先日、鳥取県の倉吉を訪れた。街のなかや小学校の敷地内に彼の立派な銅像があった。間違いなく彼はこの土地の人間に愛され、そして誇りとされていた。

小さいころ、相撲中継を楽しみにしていた子供たちは、いつもこんなアナウンスを聞かされていた。

「東(西)がた、横綱、琴櫻、鳥取県東伯郡倉吉町出身、佐渡ヶ嶽部屋」。

自分の住んでいる狭い土地のことしか知らない子供たちは、音でしか味わえない「ふるさとの景色」を、ただなんとなく頭に浮かべた。そして、また同時に、なんで「出身地」をいちいち披瀝(ひれき)するのかが、わたしには不思議だった。

だが、おとなになってみて、よくわかった。

お相撲さんは、愛され畏怖され親しまれる、おらが街の(誰にも侵されない)神聖な守り神だ。「とっても強いぞ、ほかの土地のお相撲さんにだって負けてないぞ。そら、がんばれ!」という、街の気分や気配のシンボル。いわば、お相撲さんは、移動する「街の神社仏閣」なのである。

琴櫻のことを調べていたら、「琴櫻像の顔に下着 発見の市長カンカン」という2009年にあったニュースを見つけた。もちろん、いたずらにしては過ぎる軽犯罪だが、この市長の「カンカン」という怒り方の表現が、まさに神社仏閣的な味わいを増幅させている。

この土地にとって琴櫻は、「神」である。相撲は神事といわれるが、銅像になった姿を眺めると、まさにその風格に満ちている。

人口減少の進む鳥取県。最近、琴櫻以来、53年ぶりに十両力士が出た(石浦)。

スタバなんかはいらないけど、そろそろ横綱が欲しい。街を歩いていると、この土地の長老の本音が聞こえてくるようであった。 (中丸謙一朗)



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