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(第22回)夏休みのスーパーコンテンツ・「ラジオ体操」の歴史を感じに、ソラマチの郵政博物館に行った

 「全国のみなさん」。

 昭和3(1928)年、巷にこんなことばが流行った。朝のラジオ体操からの一節である。

 この年、NHKラジオの全国中継網が完成した。同年秋に執り行われた「昭和天皇御大礼」の記念事業として、ラジオ体操の放送が開始された。

 担当アナウンサーの江木理一氏が、「全国のみなさん、おはようございます。朝のラジオ体操をご一緒にいたしましょう」と、軽快な台詞回しで放送し(毎朝午前6時)、このことばが街の流行語となった。

 昭和のはじめ、日本人は諸外国の大男たちに比べまだまだ貧相だった。また、大正15(1926)年に、簡易保険と郵便年金が、時代や生活様式の変化に合わせて充実が図られていたこともあり、政府の「体位向上」のスローガンに応じるように、いまの郵便局の前身である逓信省簡易保険局が「国民保健体操」としてラジオ体操を提唱。各地域の町内会が主催し、街なかの広場や小学校の校庭などで、さかんに「ラジオ体操の会」が行われた。そこで、ラッパ型のスピーカーから江木アナウンサーの号令が鳴り響くことになったのである。


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ラジオ体操の創設時のポスター(郵政博物館所蔵の複製)


 この年の主な事件は、「共産党中央機関紙『赤旗』創刊」「最初の普通選挙、第16回総選挙実施」「高島屋が御大礼記念博覧会で和服のマネキン・ガールを使用し、人気を呼ぶ」「奉天に引き揚げ中の張作霖、関東軍の一部の謀略で列車爆破され死亡(張作霖爆殺事件)」「東京・大阪朝日新聞社、社屋側面に流動式電光ニュースを開始」「天皇、京都にて即位の大礼を挙行」「日本大衆党結成」など。

 この年の映画は『丹下左膳』『陸の王者』。本は窪川(佐田)稲子『キャラメル工場から』、黒島伝治『渦負ける烏の群れ』、野上弥生子『真知子』。

 陸上競技400メートルで、人見絹枝が59秒0の世界新を記録。夏頃には、東京の魚河岸の移転問題が起きた。現在の豊洲移転のように、日本橋から築地への移転が大騒動。当時の東京市会に疑獄事件が発生していた。

 ラジオ体操は11月10日の御大典を記念し、11月1日から全国中継で放送された。この全国ラジオ体操は、太平洋戦争で中断されるまで、毎朝電波に乗った。昭和5年には全国の刑務所に受信機が備えられ、受刑者もラジオ体操に参加した。

 ある目的のために、みんなが揃って同じことをする。このことが国威発揚や会社の士気の向上、児童の帰属意識、社会規範の植え付けなど、多くのことに転用されていった感もある。

 このラジオ体操の、国民の体力向上、こどもたちの体格向上への効果はいかほどであったのか。それは定かではなない。だが、少なくとも「早起きへの根性」と「夏休みの恒例行事」という共通の思い出を、多くの国民にもたらしたことはじゅうぶんに意味があった。スタンプや景品欲しさに一週間ぐらいは前のめりで通っていたことも各人それぞれの懐かしい思い出だ。

 地域の「ラジオ体操会」は、1930年7月21日に神田万世橋署の面高巡査が、こどもたちが夏休みを楽しく過ごせるようにと、千代田区神田佐久間町にある佐久間公園で「早起きラジオ体操会」を実施したことが起源と言われている。いまでも公園には、それにちなんだ記念碑が建てられている。

 外国人観光客などで賑わう東京スカイツリー。そこに併設する「ソラマチ」に郵政博物館がある。そこには郵便の歴史や切手のコレクションなどの他に、ラジオ体操についての展示がある。

 「お始めになりましたか ラヂオ體操を」と描かれた制定当時のポスター。実はスーパーコンテンツであるラジオ体操。最近、わたしは毎朝、この曲で身体を目覚めさせている。

〜2017年11月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂


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佐久間公園内の「ラジオ体操会発祥の地」碑(千代田区観光協会HPより)


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郵政博物館
東京都墨田区押上1-1-2東京スカイツリータウン・ソラマチ9階

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