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(第8回) 象潟海岸、古(いにしえ)の海」

 新潟から秋田方面へと向かい、海沿いの道を走っていた。羽州浜街道(国道7号線)である。

 この街道沿いに不思議な場所がある。秋田県南西部(にかほ市)の海岸沿いに位置する象潟(きさかた)である。

 周囲は、出羽富士として有名な鳥海山と日本海に挟まれた風光明媚な一帯で、街道沿いには道の駅があり、雄大な日本海の景色を眺めることができる。

 目の前に広がる象潟海岸は、遠浅の砂浜が広がる海水浴場としても有名で、「日本の夕日百選」にも選ばれている。だが、今回注目したいのは、この海岸部ではない。それは、道の駅にある展望台に登り、海岸を背にし、鳥海山方面に目をやると見えてくる。

 象潟の街道沿いから内陸にほんの少し入った場所に蚶満寺(かんまんじ)という寺がある。この寺院は曹洞宗のお寺で、松尾芭蕉をはじめ多くの文人が訪れているが、昭和の名作家・司馬遼太郎もこの寺を訪れ、「象潟の水景は雨に似合う」と、先人・芭蕉と象潟の関係を探っている。

 ここ象潟海岸には潟湖があり、九十九島と言われた多くの島が点在していた。だが、文化元年(1804)の象潟地震と呼ばれた局地的な大地震で、海の底が2・4メートルに渡り隆起し、陸地になった。展望台の上から眺めると、木々に覆われた隆起部が「島」の面影を残す奇妙な水田の景色となっている。その九十九島のひとつの上に鎮座しているのが、蚶満寺である。

 「象潟や雨に西施(せいし)が合歓(ねぶ)の花」。

 これは松尾芭蕉がここ象潟を訪れた時に詠んだ歌だ。西施とは、中国古代四大美女のひとりで、当時の詩歌の世界の美女の代表とも言うべき存在である。

 合歓の木は日当たりの良い湿地を好んで自生する植物だ。芭蕉は「海」であった頃の象潟を訪れ、そこに松島を連想した。また、その地に咲く合歓の木と西施の美しさと憂いを重ねあわせ、象潟の情緒とそこはかとない美を表現した。

 芭蕉がいた時と同じ雨のなか、「島」の上に建っている蚶満寺(かんまんじ)の境内から、江戸時代の「海」を眺めてみる。景色の奥にもうひとつの景色を観る。それは消え去った、儚くも眩しい水面のきらびやかさ。まるで時間旅行をしているような感覚に陥り、なんとも不思議な気分になる。

 NHKの教養系バラエティ番組『ブラタモリ』が人気だ。ナビゲーター役のタモリ氏と女性アナが、日本各地を訪れ、有名な観光地を「地形」や「地理的歴史」の観点から見直し、新たな味わい方を見つけようという主旨の番組である。

 ここ象潟もそういう意味では、格好の場所だ。消えた水辺の「地形的変遷」に気が付かなければ、ある日本海側の辺鄙な場所にある「古ぼけた土地」として見逃されてしまうだろう。だが、ここに見えない「海辺」や「水生植物」、聞こえない「水の音」などを思い浮かべてみると、俄然景色が色づき始める。

 おおげさなインフラはいらない。派手な看板もいらない。ただ、そこに流れる物語の一編を静かに紹介するだけで、その土地は文字通り「たのしい観光地」として隆起する。

〜2016年9月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂

【蚶満寺】秋田県にかほ市象潟町象潟島2
曹洞宗寺院。山号は皇宮山、本尊は釈迦牟尼仏である。元禄2年に松尾芭蕉が訪れ、『奥の細道』に紹介したことで知られている。境内の一角。奥に見える水田のある部分は、昔の海岸線である。

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