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古本屋で再会した『ジョーズ』で知る、映画原作の威力


 ようこそ、もんどり堂へ。ここはおもしろい本にふたたび出会える場所。いい本、変本、貴重な本。本にもいろいろあるけれど、興味深い本は、どんなに時代を経ても、まるでもんどりうつように、いつしかまた、私たちの目の前に現れる。

 『ジョーズ』(ピーター・ベンチリー著、平尾圭吾訳、早川書房刊)(入手価格105円)〜これは、1975年に私が初めて読んだ「おとな」の本だ。横浜・伊勢佐木町にあった有隣堂書店で入手し、興奮しながらも恐る恐る読み始めた三ページ目。


 「女は、はじめ足を岩か流木にぶつけたのだと思った。咄嗟の痛みはなかった。ただ右足を猛烈に引っぱられた感じだけだった。顔をあげておくために左足で立泳ぎしながら、暗闇の中に左手を伸ばし、足を探った。足は無かった。手を足の上の方にあげてみた。突然彼女は、目まいと吐き気に襲われた。手探りする指先が、骨の瘤とずたずたに裂けた肉をさぐり当てていた。つめたい水の中で、どくどくと吹き出している温かいものは、自分の血であることがわかった。」


 この「戦慄」の箇所を読んだ時の気分を、今でもよく覚えている。現代は映像の世紀のように言われている。だが、目からではなく、「想像力」という脳内の情報がいかに力強いか、そんなことを思い出させてくれる一冊だ。


 「巨大な魚は、三日月状の尾びれをぐぐっと細かく動かしながら、夜の海をしずかに泳いでいた。口はえらから吐き出せるだけの水量を取り入れられる大きさに、すこし開いたままだ」。「往来に出た彼女は、曲がり角にラリー・ヴォーンの姿をみとめた。可哀そうに、彼もあたしと同じくらい悲しそうな顔をしている、と彼女は思った」。


 誰だったかが語った、「ハリウッドが映画を子供のおもちゃにした」という名言があったが、巨大な鮫が人間を襲う、そんな「子供のおもちゃ」的プロットの原作ではあるが、描写などが細かく情緒的で、実は「おとなの文学」している。この本は昭和50(1975)年の発行、映画は翌年の1976年に公開されている。


 同じような時代の映画原作本で、もうひとつ私の手元に舞い込んだものがある。『エマニエル夫人』(エマニエル・アルサン著、川北祐三訳、二見書房刊)(入手価格105円)だ。想像をかきたてる文体がいい。映画と原作、今触れるとどっちが「モアエレクト」かは、一目瞭然である。


 105円で手に入れた(約40年前の)ハリウッド映画の世界。本には、しおり代わりに当時のチューインガムの包装紙が挟まっていた。いい時代の匂いがした。

                     (2014年 夕刊フジ紙上に掲載)

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