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作家・太宰の珍味的味わい

 ようこそ、もんどり堂へ。いい本、変本、貴重な本。本にもいろいろあるが、興味深い本は、どんなに時代を経ても、まるでもんどりうつように私たちの目の前に現れる。

 今回、私の手元にもんどってきたのはこの本である。『太宰治 主治医の記録』(中野嘉一著、宝文館出版、昭和55=1980年刊、入手価格210円)。

 モルヒネの一種パビナール(麻薬)中毒に陥った太宰治は昭和11年、板橋の武蔵野病院という精神病院に一ヶ月入院した。太宰はその体験を「私の生涯を決定した」と断言し、『人間失格』などの太宰文学の最大のモチーフとした。その間の太宰の微妙な様子を明らかにするカルテが公開され、それをもとに主治医であった著者が冷静に論評を下したのがこの本である。

 帯にある通り、「太宰治研究の第一級資料」には違いはないが、現代の書籍のように、そこにスキャンダラスな、あるいは露悪的な視点はない。

 「発言にはインテリジェンスを、書籍には格調の高さを」。よくもわるくもそんな昭和後期までの風潮が滲み出るような本だ。飛び抜けたおもしろさはないが、じんわりと(環境や現象としての)文学を感じる、そんな作品である。

 それにしても、太宰治という作家は本当に困った男だ。でも、その「困った」も入れて大作家なのである。

 小さい頃、父の晩酌を眺めている時に、「珍味」という言葉を初めて知った。なんだか大人しかわからない蠱惑的な響きを感じた。めずらしい味「珍味」は、ちょっとチープなところもあるが、やはりその珍しさと個性やアクの強さで確実に尊ばれている。子供心にもそんなことを感じた。我が国を代表する文学者のひとりである太宰治を「珍味」にしてしまうのには気が引けるが、次に紹介するこの男は、確実に「珍味」だ。

 今週のもう一冊。『海も暮れきる』(吉村昭著、講談社文庫、昭和60=1985年、入手価格不明)。

 主人公である尾崎放哉は「いったんはエリートコースを歩みながら、やがて酒に溺れ、美しい妻に別れを告げ、流浪の歲月を重ね」、「小豆島で悲痛な死を迎え」た、さすらいの俳人である。

 「咳をしても一人」とは有名な句。

 金の無心、酒乱、高慢。孤独と露悪に魅入られた男はどこまでも堕ちていく。しょうもない奴は、読み手に酒をすすませるほどに、味わい深き「珍味」だ。

 「かれは、夜の海を見たくなった。月が雲間から出たらしく、ガラス窓が青白い。海の中に歩いてゆけば、いつでも死ねる。自由に死をあたえてくれる海が、好きであった」。

 「海も暮れきる」とは、なんとも素敵なタイトルである。

                     (2014年、夕刊フジ紙上に連載)

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