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漆黒の闇を見つめ、物語を紡ぐ想像の力

 ようこそ、もんどり堂へ。いい本、変本、貴重な本。本にもいろいろあるが、興味深い本は、どんなに時代を経ても、まるでもんどりうつように私たちの目の前に現れる。

 ある旅でのことだ。福井県にある朝倉氏の城跡”一乗谷”を訪れた時、私はどうしていいかわからなかった。たいした下調べもせずにそこに行けばなにかあるだろうとふらりと訪れたのだが、目の前に広がる広大な「野っ原」(跡地)に、私はただただ呆然とするのであった。

(追記・その背景にある物語の詳細は、令和2年度NKH大河ドラマ『麒麟がくる』で描かれている。)

 本を書く、物語を紡ぐということは、恐ろしいまでの「想像」の場である。作家・水上勉氏は、私が見た同じ「朝倉城跡」を前にして、こう記している。

 「この作品は、越前一乗谷の朝倉館跡に立った時の作者の感懐から生まれている。(中略)ここへ来れば、誰も、戦国への空想の羽はのびる。(中略)私はまた、一乗谷でみた無数の石地蔵の古びた姿にこころをとめた。卑見かもしれぬが、ここに住んだ武将たちの鎮魂の風音をきいたように思う」(『越前一乗谷』水上勉著、中央公論社、昭和50=1975年刊、入手価格105円) 今回のもんどり本『越前一乗谷』は、生きている時代も違う、場所も違う、作家の水上勉氏が、朝倉氏の繁栄と攻防の歴史を、自らの想像力で見事に描き切った作品である。

 現代は完全に情報の洪水だ。新聞を取るのをやめても、またテレビを観るのをやめても、情報は止めどもなく身体の中に浸透してくる。手立てもなく、何もない空間を見つめるような眼差しは、「情弱」あるいは「低い意識」と揶揄され蔑まされる。

 私たちは何もない真っ暗闇の中で、漆黒の闇を見つめながら、どれだけの時間を過ごすことができるだろうか。話し相手もなく、スマホも手に取らず、ただ己と向かい合い、その末に頭のなかに生じる、想像という「しがらみ」を、私たちはどれくらい大事にできているだろうか。

 今週のもう一冊は、『季節のない街』(山本周五郎著、新潮文庫)。

 昭和45(1970)年に公開された黒澤明監督作品『どですかでん』の原作本である。

 「”風の吹溜まりに塵芥が集まるようにできた貧民窟”で懸命に生きようとする庶民の人生」(あらすじより)。

 何もない、塵芥だらけの景色から、悲しくておかしくてつらくて、ちょっとだけ温かい、そんな珠玉の物語が生まれる。作家の時代を切り取る、想像という「しがらみ(柵)」のすごさ。作家の根本の力が漲る、私の大好きな作品である。

 さて、このもんどり本の連載はこれにて終了。またどこかでもんどり会えましたら……。

(2014年、夕刊フジ紙上に連載)

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