Under the Storm
キョーさんが姿を消してから3日が経った。
正確に言えば、長期休暇をとっただけで別に何の問題もない。
有給休暇を消化しろと言われたから、それに従ったまでだ。
当の本人は不服そうだった。
本当に嫌そうに、書類を書いていた。
「そんなに休むの嫌なんですか?」
「いや、書類が面倒なだけ。これが嫌だから避けてたのにぃ……」
「それくらい頑張ってくださいよ……」
他の先生からも「少しは休んだ方がいい」と言われていたくらいだ。
かなり真面目に働いているのはみんな分かっている。不安になることないのに。
「休日を嫌がる人なんて初めて見ました」
「だーから、書類が嫌なの。
何もしなくてもいいなら、とっくにやってるんだって」
「そういう問題なんですか?」
訳の分からないことを言いながら、書類を書いていた。
元気なのに休む意味が分からないとか、そんな理由だったらよかったのに。
休日をもらうための書類を嫌がるとか、とてもじゃないが信じられない。
そんなに難しいことを書くものでもないのに。
休むことより面倒くささが勝つのだろうか。
社会人ってよく分からない。
あらかじめ連絡はあったから、驚くほどのことでもない。
お客さんから「推しがいない」ので寂しいと言われたくらいだ。
なるほど、今は占い師を推すような時代らしい。
綺麗に整えられた長髪に金属製のごついアクセサリーを身につけている。
どこからどう見ても、アイドルとは程遠いのに。俺にはよく分からない。
さて、実はキョーさんから『数日来なかったらそういうことだと思え』と言われている。『数日、連絡もなく休んでいたら家まで様子を見に来い』と、住所が書かれた名刺と予備の鍵を託された。
俺はヘルパーさんか何かですか。
アンタの家まで行って、介護老人よろしく面倒を見ろと、そういうことですか。
あらかじめ連絡をもらっていた場合でも、家に行かなければならないのだろうか。
何でそんなことをしなければならないのか。
予備の鍵とにらめっこして十数分、俺は心を決めた。
何かあってからでは遅いし、マジで蒸発していたら困る。
友達の家に遊びに行くつもりで向かうことにした。
駅から歩いて数分、マンションの角部屋だ。
ゆっくりとインターホンを押した。
返事はない。寝てるだけかな、多分。
「キョーさん、失礼しますよ」
俺は鍵を開け、慎重に玄関の扉を開けた。
電気はついておらず、玄関からリビングまでまっすぐ廊下が伸びている。
スニーカーとサンダルが一足ずつ、置かれている。
すっきりと片づけられており、目立った汚れもない。
俺はかなり面食らった。ゴミ袋であふれかえっているとばかり思っていた。
「……うっそだろ、おい」
俺は絶句した。有言実行とはこのことか。
自分が手本になることで、丁寧な生活を送ることの大切さを説いていたわけか。
そりゃあ、人気が出るわけだよ。
「こんにちはー、お邪魔します」
リビングの電気はつけっぱなしだ。
カーテンは閉め切られ、外の光は一切入ってこない。
ベッドでうつ伏せで寝ているキョーさんがいた。
充電が切れたスマホみたいに、微動だにしない。
子どもならいざ知らず、背の高い髪の長い男だ。
可愛げがないというか、ひたすらに不気味だ。
リビングは必要最低限の家具以外、何もない。
綺麗に片づけられているというより、無駄なものを置いていないように思えた。
ストイックといえばいいのか、無機質といえばいいのか。表現に困ってしまった。
「キョーさん、生きてますか? 」
ベッドの上で伸びている毛玉のバケモノを揺さぶる。
バサバサの長い髪からうっすらと見える眼が非常に怖い。
いつから起きていたのだろう。
「……何でここにいるんだ?」
一文字ずつかみしめるように、口がゆっくりと動く。
虚空を見つめる瞳、手入れされていない髪、微動だにしない男、これだけで恐怖を煽ることができるんだな。
「数日来なかったらそういうことだと思えって、自分で言ってたじゃないですか」
死んだ魚のような目が大きく見開き、あわてて体を起こす。
「ちょい待って、俺またやった? やっべえ、大家さんに怒られる!」
バタバタと走り出し、サンダルを履いて、外に出て行ってしまった。
すぐにゴミ袋を抱えて戻ってきた。
長いため息をついて、ようやく俺の顔を見た。
「あっぶねえ……マジで助かった。また全部捨てるところだった」
「何の話ですか」
「悪いね、今は何もなくてさ。とりあえず、手伝ってくれると嬉しいんだけど」
「意味が分からないです」
「でしょうね。俺もびっくりしたもん」
キョーさんが戻してきたゴミ袋の中に、インテリアと思われるものが入っていた。
カレンダー、目覚まし時計、テレビやエアコンのリモコンなど、本来ならテーブルやタンスの上に置かれているであろう物がゴミ袋に入れられている。
普通のゴミときっちり分けているあたり、かなりタチが悪い。
雑貨を慣れた手つきで元の場所に戻す。
「たまーにね、やっちゃうんだよ。
なんかもう、全部いらねェやって思ってさ……どんどんゴミ袋に入れちゃうのね。
それで、気がついたら全部ゴミ捨て場にあってさ。
自分で気づくときもあるけど、何回やったかね。もう覚えてねェわ」
家に帰った後、たまったゴミを分別した後に、捨ててはいけないものもまとめてゴミ袋に放り込んで、捨ててしまったらしい。その後、気絶するように寝た。
起きた後もベッドから一歩も動かず、天井を見続けていた。
部屋の片づけとかそれ以前の問題だ。
今日がたまたまゴミ収集のない日だったから、助かったようなものだ。
「テレビのリモコン、何代目だと思う?」
「そんなん知りませんよ」
「三代目ね、エアコンのほうは五代目かなァ」
何を言ってるんだ、この人は。笑えねえよ。
下手をしたら、大事なものを失っていたかもしれないのに。
「こんなことやってんのに、あんな綺麗事を抜かしてたんですね」
「悪いかよ……なんて言える立場でもないか」
開き直りやがった。
ゴミになりかけた小さなフィギュアを綺麗に並べる。
本当に慣れた手つきで置いて行く。
「……失望したかい? あんなエラソーなこと言っておいて、これだもんなァ」
その声はどこか沈んでいたように思えた。
アクセサリーを身につけておらず、髪も手入れされていない。
部屋から物という物を捨て、何もせずに天井を見続けていた。
「いつもこんな感じなんですか?」
「そうでもないんだけどねェ……悲しいかな、失敗しても学べないんだよね。
いつ来るか分からないから、対処のしようがないんだ」
嵐のような衝動に駆られる。自分で抑えることができない。
気がついたら、部屋中がすっからかんになっている。想像できない。
「キョーさん、やっぱり働きすぎなんですって。
この際だから、ハワイにでも行きましょうよ。俺、空港まで見送りに行きますから」
「見送りだけする奴なんて初めて見たよ」
「だって、学生は勉強が本分だっていうじゃないですか」
「本音は?」
「休む口実ができるからです」
「正直でよろしい」
盛大に腹の虫が鳴る。
ようやく調子が戻ってきたようだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?