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人生でハッピーを追求する

「あなたは今、ハッピーですか?」

気は確かだ。

ハッピー語りを始める前に、導入の文章を書かせて欲しい。

私は最近、家を買った。注文住宅の新築だ。無茶をした。その甲斐あって、変動金利のローン以外は何も言うことがない。家電も一新した。全てハイスペックだ。食洗機や大型冷蔵庫の利便性には感謝しか無い。その一方で、もうお金はない。嘘だ。株で遊んでる。つい最近、暴落した。

私は大半のお金を失った代わりに、人生が豊かになった感覚があった。賃貸に住んでいた時のストレスは消え、近所の実家に行けば甥と姪と息子が他愛のないことで爆笑していて、お金を失った危機感によって嫁と将来設計の認識合わせができた。さらに、楽器を実家から持ってきて、趣味の時間もでき始めた。


そして料理中に、ふと思ったのだ。

「これ(どれ?)を突き詰めると、幸せに近づくのではないか」と。


ハッピーの方向、分かってなかった

努力の向こうには、ハッピーがなかった。そこに気づいた。

私は、目標に向かって動き出す前に、とある観点をチェックする。その観点は「課題解決のための方針を実施すれば、本当に課題を解決できるのか」ということだ。

課題の解決策を考える時、私は「理想と現実のギャップ(小課題)」を見つけ、小課題を解決しようと考える。しかし、小課題を解決しても、本当に達成したかった課題が解決できないことは多々あるのだ。このような徒労を避けるために、私は前述のチェックを行うようにしている。


私は今日、ふと「ハッピーになるという課題に対して、今現在の方針は本当に正しいのか?」と疑問に思った。

そう、仕事では当たり前のようにチェッキングをしていたが、自分の人生ではチェッキングしていなかったのである。市場障害が出る前に、この事実に気づけて良かった。


つよつよエンジニアになってもハッピーになれない

私は20代の頃から「技術力が高ければ給料が高くなるし、40代でリストラされることもない」と考え、平均よりも多く働き、余暇時間に勉強もした。今でも、この方針に近い。

この方針は間違いではないが、正しくもない。なぜならば、私の技術力が高いことは、家族(=私)のハッピーにそこまで貢献しないからだ。

例えば、私は朝昼晩の料理が定刻に出て、家族揃って食事をして、ご飯を食べ終わったら各々が好きなことをする流れが好きだ。ハッピーだ。この流れを実現するには、食材を買いに行ったり、料理の準備や調理をしたり、後片付けをキチンとして次の調理への負荷を減らす必要がある。ここで、社畜型つよつよエンジニアを家庭に投入してみよう。まず、仕事から帰ってこないのではなかろうか。昔の私がそうだった。

そう、私の幸せに家族が密接に結びついたため、私がつよつよになっても家庭に貢献できないのだ。今では、料理が上手くなった方が貢献度が高い。


人生でハッピーを追求する

暗い話だが、父親の体調が悪い。祖母もボケた。孫の私と話しても誰だか分かってないし、実の娘(私の母)を孫娘と勘違いしていた。私は、少し泣いた。私が学生時代の頃にあった穏やかな日常が遠のいたことを感じた。

人生には、取り返しのつかないことがある。例えば、私が技術を追い求めて家庭を蔑ろにすれば、親孝行したくても親が居ないかもしれない。嫁との関係も取り返しのつかない状態になるかもしれない。それは、不幸ともいえる。

こんな不幸に、人生の終盤で辿り着くのは嫌でしょう?私は嫌。だから、避けられる不幸は減らし、ハッピーを追求する必要がある。


「自分は、何に幸せを感じるのか」「その幸せを実現するために、必要なことはなにか」をキチンと整理して考え、追い求める必要があると今日気づいた。今更かもしれないが、気づけて良かった。悟入した。


最後に(余談)

「あなたは今、ハッピーですか?」は、故・岩田聡氏(任天堂 元代表取締役社長)が面談時に社員に必ず問いかけていた言葉である。

この言葉を積極的に借用していきたい。

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