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「死刑制度」⑦ 番外編・哲学者に死刑制度の是非を聞いてみた

哲学者の中だとソクラテスが好き。どうもアコニチンです。

今回は、番外編ということで哲学者の「らりるれろ。」さんに死刑制度について語っていただきました! 「らりるれろ。」さんがおっしゃっていたことをまとめていきます。


向学心のある大学生のみなさんが読むべき本を簡潔に説明されている「らりるれろ。」さんのブログ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

さて、死刑制度に対する哲学者の考えをうかがってみましょう!


死刑制度について話すにあたって、死刑が奪うもの=「生命」を守っている権利、生存権とはどのようなものか明らかにします。生存権は下のような円環のような形で守られていると私は考えています。

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この円環の中にいることで、生存権や私たちの社会生活の安全は守られています。

円環の中=生存権が守られた社会、円環の外=生存権が守られない社会

では、殺人を犯した場合はどうなるのでしょうか。

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殺人は、他者の生存権を侵害することですから、「生存権を冒さない」を破ること見なります。ゆえに、殺人犯(黒い人)は円環の外に出ることになります。

ここで、「殺人犯だ!よーし、死刑だ!死刑だ!」とはなりません。殺人犯は生存権が守られる社会の外に出ただけで、すなわち死刑にはなりません。では、殺人犯を死刑にしていきましょう(にっこり)。

殺人犯を死刑にするのは誰か、という問題が出てきます。裁判長?死刑執行人?法務大臣?民意? うーん、いったい誰なんでしょうか。この中の誰かまたはその他の人(円環の中の人・円環を取り仕切る人)が殺人犯を死刑にするとしましょう。

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円環の中の誰かが殺人犯を死刑にしました。円環の中の人が殺人犯を「殺し」ました。ということは、、、

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殺人犯を死刑した人も円環の外に出てしまいました。これでは、殺人犯を死刑して、殺人犯を死刑した人を死刑して、殺人犯を死刑した人を死刑したひとを死刑……と死刑の連鎖が止まりません。

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では、死刑する人が円環の外の人だったらどうなるでしょう?円環の外、、そうだ!国家はこの円環の外にあるとしましょう。国家または国家の代理人が死刑をするとします。

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国家が死刑をする。うん、うまくいきましたね。と思いきや、この考えにも穴があります。それは、死刑が「罰」として何らかの秩序を持つことはいかにして可能になるのか?という点です。このままだと、死刑は単なる(秩序を持たない)「暴力」になってしまうのです。国家があるのは、円環の外=生存権の守られない社会ですから、秩序もへったくれもないわけです。

確かに、何らか理由で死刑に秩序があるとすれば、死刑になる殺人犯と死刑にならない殺人犯を分けることがで来ます。しかし、死刑に秩序がないならば、年間約1000件もある殺人事件の犯人はもれなく全員死刑になります。日本の死刑執行は年に5件程度ですから、5件と1000件は雲泥の差です。

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これもまた死刑失敗、です。死刑制度はどうやっても論理的な整合性が見えないので、死刑反対とおっしゃっていました。

まとめ 死刑制度が殺人犯の生存権を冒す論理的整合性がないため、死刑反対。

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