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ひぐまりのーと流まーじゃんがくぷろとたいぷ

1.序文

…一回、麻雀に関するネタをなんらかの形で出してみたかった。

といっても強さがそんなんでもない僕がかけることってのは、比較的限られている。やっぱり、強い人は方法論をもとにしてやっている。具体的な戦術的な話はしばらくできない。まあ、これからということになろうか。

もし麻雀を語る上で人を取り込む技術も麻雀のうちだとするならば、はなっから負けているのが僕だ。

Vtuberとか最近台頭している。あれは新世代の話術と交流術といえる。配信独特のノリがそこまで好まない僕には、あまりそういうものに興味がわかない。できなくはないかもしれないが、自分の人当たりはただでさえ内部はきついほうなので、世間との合わせ方が難しい。

僕の性分もあるんだが、どうも他の人と同じようなことはあんましたくない。あくまで、僕は雑文屋というスタンスになる。まずは、そこから始める。

雀荘はどうだろうか。僕は以前はあこがれはあったが。たいていは4人でやるものなのだがあれは今は正直新型コロナウイルスが怖い。昔だったらコミュニケーション不足とは甘えだったと思われる。だが、正直感染症となると自分の努力をはるかに超えてしまっている。人に迷惑は、かけたくないのでこちらは勘弁。

ゆえに語るとするならネットでの麻雀ということに、なる。

弱くはないが、強くもないくらいの位置。天鳳は特上で折れかけている。雀魂は先月7月から期限付きということで(予定)開始してまあ遊びながら雀豪1くらいなっとる。玉の間が少し楽しくなっては、きた。

その程度ということになる。ただまあ。やっていく中でしか、麻雀の技術とかそのへんは磨かれない。だから僕は僕なりの接し方で上っていきたいかなとは、まあ思う。

2.さわぐな

さて、ないないづくしを語るが。麻雀とはいったいなんなのだろうか。

こっから、話をする。

これ、どういう反応をするだろう。自分にとっては人生なのかもしれない。気楽に遊べる場なのかもしれない。まあ当然クソゲーになるのかもしれない。勝っているときは楽しいとは思う。負けたら楽しくはない。けど、まあはまる。

少なくても僕が知っている範囲での日本式麻雀は、そういうものでできている。変に中毒性がある。それは自分が勝てるかもしれない、からだ。短期間であれば、弱くても強い人をなぎ倒せる可能性も十分にある。

運の要素も大きい麻雀では、短期的な戦績では測れない。例えば麻雀プロであれば、基本的にはタイトルをとるための席の奪い合いである。リーグ戦よりもタイトル重視のほうが名を残せると考える。一発勝負に強い雀士が尊ばれるし名が大きく見えるということである。逆に時には麻雀プロとは何かすら疑われることも、ある。一握りのプロは、確かにとても強い。それは思う。でも正直、客観的にはあくまでも権利を得ているだけの一般人ともいえる。…これ、けなしているわけではない。麻雀プロというのは、そういうカテゴリーなんだなあって感じだ。

麻雀に限った話ではないが。勝ち負けも打ち方も所作もそれぞれの立場は色々な人生を反映している。対戦を通じて人間性が見える。

プロとよべる人の条件とは、まず人間性ということはいえるのだろう。必ずしも強さはもとめているわけではない。ただ、人間の器はたぶんプロでも雀打ちでもまっとうなフィールドにいるのであれば裏切らないとは思う。

まあ別にプロになる必要はないか。…ただ、麻雀打ちとしてきちんとやるならば、まず最初にさわぐなって感じになるのだろうか。

これが、果たしてできているか。むしろ僕は反面教師よりである。さわいで注意されたこと多数。…そのせいか、僕の麻雀打ちってのはやってはやめやってはやめって感じだ。…さわぐことに自己嫌悪していたら、まああかんわな。静かに丁寧にやっておいたほうが、間違いなく尊ばれるとは思う。

人当たりがいい人間になりたかった。自分はあんまり持っていないものだ。…まあ、努力します。

ただ麻雀やっているとメンタルが鍛えられるってのはあるので、負けた時にどうするかは極めて大事なのではないだろうか。負けたとしても、その理不尽状況でも対処したり予防するためにやってます。少なくても、僕にとってはそれがしっくりくる。

では、麻雀とは何なのだろう。まだ、僕はわからない。分かっている人もまあ多いだろうが、自分の中では分からないとしておきたい。

とりあえず、たださわいでおわるだけのものにはしたくないかな。なにかに生かせりゃあ、いいと思っている。だから、少しずつ書いていく。

また、定期的にこういうネタを書きます。どうか目にした時には、よろしく。

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