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第4回:アニメ「ダイナミックコード」が表現した"ルート分岐"について

AGF2022、お疲れさまでした!
今年もダイナミックコードの現運営・アリスマティックが出展しており、念願叶って発売されたゲーム版サントラCDとか、パーカーとか、色々買えてよかったです。
カバーアルバムの続報も楽しみですね。

さて、5年前の今日、2017年12月21日。
アニメ「ダイナミックコード」の最終回がTBSにて放送された日です。
今回のnoteは、レヴァフェ編のラストにあたるact.11〜最終回act.12をメインに、アニメ版ダイナミックコードにおける「ルート分岐の表現」について記していきます。


「ルート分岐」の一般的な描き方
ルート分岐あり・マルチエンディング方式のゲームを原作としたアニメ作品は多数ありますが、ゲームにおける膨大なルートのシナリオをどう描くか、誰のルートをメインシナリオにするか、ストーリーをまとめていくか、制作側が必ずぶち当たる壁だと思います。
例えば、京アニ版「CLANNAD」では、原作ゲームのシナリオを元にしながら各ヒロインのルートを約3話ずつ描いたあと、メインヒロインのルートへ収束するために1期18話のシナリオ内でメインヒロイン以外のフラグをすべて折って失恋させ、19話から最終回まではメインヒロインと主人公との恋愛を軸にして描いています。また、アニメ本編とは別立てで、別のヒロインの原作ルートをもとに、彼女たちとのハッピーエンドが"特別編"として放送されました。

このように、恋愛シミュレーションゲームを原作としたアニメを制作する場合、一般的には、誰かひとりのルートをメインに据える方法をとります。ストーリーの収拾がつかなくなるためです。
一方、アニメ「ダイナミックコード」はもともと原作シナリオを再現している脚本ではないうえ、画面上にヒロインが出てこないので、ルートを描いたり収束させたりする必要がない構造となっています。

●アニメ「ダイナミックコード」とルート分岐
では、アニメ「ダイナミックコード」の作中でルート分岐は全く描かれていないのか?というと、そう言い切れないシーンが存在します。
最終回のひとつ手前、act.11「Snowing」です。

※act.11をまだ観ていない方、あるいは記憶が薄れている方は、まずact.11をご覧になることをおすすめします。

act.11の冒頭(アバン)、レヴァフェ4人が吹雪の中で吊り橋を渡るシーン。つむぎが足を滑らせてしまい、高所から川へ転落したように思わせる描写が出てきます。転落したかどうかは定かではない、けれど転落したと捉えることもできる、あえてそのような描き方がされています。
そしてその後、Bパートでも全く同じシーンが出てくるのですが、つむぎはメンバーに救助されて無事に助かります。
これこそがアニメ版における「ルート分岐」の表現にあたるシーンです。①アバンではつむぎが助からないルートの存在を示唆しており、②Bパートで描かれる救出劇は「つむぎが生存したルート」という、2つのルートを1つのアニメの中で描いている状態です。
吹雪の中で吊り橋を渡るなど、日常ではそうそう訪れないシチュエーションですよね。つむぎが吊り橋から落ちて死んでしまうルートを"存在しえた未来"と仮定した場合、それは百瀬つむぎにとって「レヴァフェの3人と出会い、バンドを始めたこと」が起因となって辿り着いたルートのひとつにあたります。

●アニメに宿る原作ゲームのスピリット
そして、この視点を持ったうえでゲームをプレイすると、作中では「主人公と出会ったこと」から発生した連鎖によってバンドが解散してしまったり、例えばKYOHSOの時明に関しては「私と出会わなければよかったのだろうか」とさえ思わせるエンドがあり、apple-polisherの有紀ルートには「些細なきっかけから全てを失くしてしまう」展開もあります。
その流れのひとつとしてact.11のアバンが存在しており、吊り橋のシーンの根底には、このような原作ゲームのスピリットが流れていると考えています。
第1回の記事で、このアニメーションは「いま生きてバンドを続けている彼らを描く物語である」と定義付けましたが、act.11はその最たる例です。
つむぎ君が助からないルートのその先に、act.12のクリスマスライブのシーンは存在しない。あのライブで初披露された「Dear my・・・」が世に出ることもなかったでしょう。針が少し振れるかどうかで人生は変わり、私たちに届く音楽も変わっていくのです。

●余談:「K・O・I」の選曲について
Bパートの吊り橋のシーンでBGMとして使用されている「K・O・I」は、ゲームのAppend Disc(レヴァフェ編)の主題歌です。Append Discの発売にあたり追加されたシナリオのひとつに"生死"の分岐があり、それを踏まえると、このシーンに「K・O・I」が選ばれていることにも意味があるように思えてきます。
他人から始まった関係性である彼を、バンドへ一番最後に加入したメンバーである百瀬つむぎを、玲音・亜貴・久遠の3人で助けるという点も、ゲームをプレイしたうえで観ると感慨深いシーンです。

●act.12の最後の最後
クリスマスライブは、レヴァフェにとって特別なものです。高校時代、つむぎ君が加入したうえで成功したあのクリスマスライブがあったからこそ、いま、彼らがDYNAMIC CHORD社でバンド活動を続けています。
act.12、ラストを締めくくるシーンがクリスマスライブであることは、このアニメーションが「原作のシナリオを再現したアニメ」ではなく「原作のスピリットを描いた作品」である姿勢を改めて示しています。監督が自らシリーズ構成も担当しているので、表現したいことが一貫していてわかりやすいですね。

そして、最後の最後に、つむぎ君のお誕生日会のシーンが流れて終わります。これは、彼の誕生日がクリスマス当日12/25であることに起因しますが、このシーンが「つむぎの生きているルート」であることの重みと、そしてもうひとつ、レヴァフェの創設に関わったKnight=亜貴にとって「誕生日」とはどのような日であったのか、ゲームの亜貴ルートをふまえながら観ることで、「生まれたことを祝う日」「生きていることを祝う日」としても意味のあるシーンだとわかります。

ゲーム版のレヴァフェには13通りのエンドがあり、4バンド合わせると50通り以上の未来があります。実際には更に多くのifルートがあると過程して、それは我々の現実世界も同じことです。
私がダイナミックコードに出会わないルートも十分ありました。2017年まで女性向けコンテンツそのものに無縁で、もちろん乙女ゲームにも触れたことがなく、いま思えば出会う確率は相当低かったはずです。
本当に偶然、自分の誕生日の夜にニコニコ一挙放送をやっていて、それをなんとなく観たあの日から5年経った今でも、こうしてダイナミックコードのアニメについて考え続けている人生になりました。

次回は番外編として、私とダイナミックコードの歩みについて記します。またご覧いただけましたら幸いです。

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