見出し画像

「リスキリング」は誰の責任? ー 私はこんなふうに考えた(2022/5/23)

本投稿は日経新聞に記載された記事を読んで、私が感じたこと、考えたことについて記載しています。
記事の長さはおよそ1,000〜1,800文字ですので、2〜3分程度で読めます。

みなさんの考えるヒントになれば嬉しいです。
よろしければ、お付き合いください。
「マガジン」にも保存しています。

「学びをよろこびに、人生にリーダシップを」
ディアログ 小川



【大機小機】
リスキリングは企業の責任

2022/5/21(土)日本経済新聞朝刊

記事のポイント

  • GWに外遊した岸田首相が英国で講演した際、人への投資の重要性を指摘し「リスキリングに力を入れる」と力説した。歓迎だ。日本経済が長期停滞から抜け出すには、従業員の学び直しによる生産性向上が決定的に必要だからである。

  • 企業がリスキリングに取り組めば、リストラを最小限に抑えて、レガシー部門から成長部門へ労働移動ができる。終身雇用の慣行が根強い日本企業にとって、解雇なき構造改革ができるなら、それに越したことはない。

  • ただ、望ましいリスリングのあり方が浸透しているかどうかというと、どうだろうか。オンラインの学習サービスを契約したり、資格取得の学費を補助をしたりする企業は多い。しかし、いつどう学ぶかは従業員任せになっていないか。日常業務に追われる中でどこまで有効か疑わしい。

  • 海外の成功例の底流には「リスキリングは業務の一部」という発想があるという。例えばスウェーデンでは国と企業、労働組合が連携し、従業員が時短を取得してリスキリングに取り組む企業に対し、政府が給与や受講費を支援している。

  • リスキリングを果たした従業員にふさわしい仕事があるかどうかも重要。努力したのに望む職場で働けないなら、モチベーションが続かない。年功序列の人事制度を改革し、従業員にキャリアアップの道筋を提示できるかどうかが問われる。

  • 経営者からは「スキルを身に付けた従業員が転職してしまう」という警戒感も耳にするが本末転倒だろう。やりがいと成長機会がみえる企業になれば、入れ替わりに中途採用で良い人材が入ってくるはずだ。

  • リスキリングを企業の責任と位置づけ、それを政府が支援し、労組も協力する。実現すれば、首相が言う「新しい資本主義」を体現する一つの姿になる。

***********

「リスキリングは企業の責任」という意見について皆さんはどうお考えですか?
私は違う考えです。

私は「義務教育」ではない大人の学びは、「個人の責任」というか「個人の意志」でやるものだと考えています。
やりたいならやればいいし、イヤならやらなければいい。そしてその結果は大人である自分が負う。

それでなくても最近の日本の組織は、「働きやすさ」が重視され過ぎていて、ますます従業員の受け身の傾向が強くなっているように感じます。

エイミー・C・エドモンドソン著『恐れのない組織』で紹介されている 「心理的安全性と業績基準の関連性」のマトリックスでいうところの「快適ゾーン」に向かっている気がします。
生産性向上を望むのであれば、心理的安全性のみならず業績基準も高い「学習・高パフォーマンスゾーン」を目指すべきではないでしょうか。

心理的安全性(A)と業績基準(B)の関連性

         B:低い            B:高い   
・A:高い 快適ゾーン   学習・高パフォーマンスゾーン
・A:低い 無気力ゾーン  不安ゾーン

エイミー・C・エドモンドソン著 『恐れのない組織』より 


海外の成功事例の底流には「リスキリングは業務の一部」という発想があるとのことですが、確かにそういう面もあると思います。
しかしもっと厳密にいえば、会社が学ぶ環境を用意し、学び直した人が評価される制度があり、それに満足する優秀な社員が働き続けていること。さらには、それを外部に認知してもらい優秀な人材を取り込むことが目的ではないかと考えます。

Googleなどのテック企業に無料のランチがあるのは、社員に食事を食べさせるのは企業の責任と考えているからではなく、優秀な人に入社してほしいための良好な職場環境のアピールのためなのと同じですね。

個人の役割:継続的に学んでブラッシュアップし価値を発揮する
企業の役割:学び続けて価値を発揮する人を惹きつける職場環境をつくる

こんな個人と企業の役割分担、良くないですか?





美味しいものを食べて、次回の投稿に向けて英気を養います(笑)。