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私たちは今いったい何の話をしているのか?

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、というけれど、どんなに賢い人だって経験していないことを理解することはとても難しいのではないか、と最近つくづく思う。

転職しないでずっと1社に40年勤めあげた人に「転職なんてしない方がいいよ。転職した人はみんな苦労してるよ」と最近、会社の幹部から言われて萎えたことがある。

「転職していない」人は「転職した」人の人生を経験したわけではないし、「転職した」人も「転職せずに1社に勤める」経験をすることは出来ない。

もしくは結婚してこどもがいる人が、「やっぱり結婚はいいね」とか「子どもは大変だけどやっぱりいいわよ」と語るかもしれない。

でも「結婚し子どものいる」人生を歩んだ人には、「結婚しても子どもはいない」とか「離婚」した、「独身」で過ごす人生を経験することは出来ない。

わたしたちは「転職」や「結婚」に限らず、自分の人生しか経験することは出来ない。

だから基本的には「他人の人生が良いのか悪いのかは分からない、それを決めるのは本人であって、他人が口を挟むことではない」といえる。

ただこれがあんまり行き過ぎると、「経験や立場が異なる人とは分かり合えない」という話になってしまう。それはそれで怖い話だ。

私たちは他人の感情や行動を理解し協力しあうことで、何かを生み出し日々の生活を回っている。私たちは「もし自分がその立場だったら」と想像して、誰かに共感することが出来る。

あなたの友人や知人の家族が亡くなって、あなた自身が悲しいと感じるとき、きっと自分が大切な人を失ったところを想像している。私たちは自分の経験をベースに、他者の感情を想像し、そこから人の行動の原因や起こりうる反応を推測することが出来る。

「転職」や「結婚」といった言葉が厄介なのは、これらに含まれる要素が多すぎることだ。こうした言葉はBig Wordすぎるんだ。

「結婚はやっぱり良いよ」という人は、同じ家に誰かが居ることに「安心感」を得ていたとする。

でもその「安心感」を得るためだったらだれかとのルームシェアでもいいかもしれないし、ペットを飼うことでも良いかもしれない。近隣の人と仲が良い地域に住めばよいかもしれない。

もしくは子どもを育てるのにやりがいを感じている人がいれば、それは地域の少年野球チームのコーチになることで満たされるしかもしれない。養子をもらう人もいれば、海外からのホームステイを受け入れている人もいる。

何に価値を感じるかで結婚という仕組みの良しあしは大きく変わってくるだろう。

転職にしても、給与・報酬、仕事の内容・働き方、人間関係、社会的な知名度…など、評価のポイントはいくつもある。どの点を評価するかによって同じ会社でも評価は大きく異なる。

「結婚」とか「転職」という話題になると、お互いに関心のある部分が異なっていることが多くて、それぞれの話したいポイントがずれて会話が見当違いな方向に行ってしまいがちだ。お互いにすれ違い、立場の違う人達の間で無理解の溝が広がっていく。

私たちは今いったい何の話をしているのか?
まずはそこから話を始める必要がある。

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