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あなたの中の迷子に7

3月、まだ冬の名残の軽井沢に出かけた。
季節外れの避暑地は人も少なく、それでもうららかな日差しがまもなく来る春を告げていた。 

あれから私達はそれまでと変わらずに駅前のお店で美味しい食事とワインを楽しみ、週末をうちで過ごして、残り時間はあっという間に過ぎていった。

「最後に何処かに行かない?」と思い立って
雲場池の岸辺に二人立っていた。
新緑にはまだ早く木々は寒々と身をすくめているようでも、目をこらせば小さな新芽が芽吹き始めていた。
自然は神様との約束通りに季節を巡り、
人もまた春から冬へと移っていく。
人生の終わりが冬ならば、春の訪れを待ち侘びながら冬を迎えよう。 無くしたものを惜しむより、きっと替わりの喜びを見出せると信じて。

気がつけばあたりに漂いはじめた冬の冷気に体を震わせて、予約していたペンションに車を走らせた。 一階ホールの暖炉には惜しみなく薪がくべられ赤々と燃えている。
部屋に荷物を置いてホールのテーブルに着いた。 二人の最後の食事は、オニオンスープに始まり前菜にボトルワインを開けて、メインディッシュ、パン、デザートと気持ちよく亮輔の胃袋に収まっていく。
亮輔はこれから夏を迎え、私は冬を迎える。
それぞれの季節に美しさがある。
彼はそれを私に教えてくれた。

そして最後の夜、亮輔はじっと私を見つめた。
「あなたを一生忘れない」
私も彼を見つめる。
長い手足と細い指、ちょっと口を尖らせて話す癖も、私の記憶の箱に大切にしまった。
そして二人が一人になるように、互いを感じながらゆっくりと溶け合っていく。
長く強く深く、私は彼の命の片われを体に閉じ込めていく。 これが最後だからと。

そして亮輔は新しい赴任地に行った。 寂しく無いと言えば嘘になる。 この半年余りの間に、彼は屈託もなく私を占めていった。 それがどんな空白を残すのか今はまだわからない。 
それでも、冬を迎える私に奇跡の時間を残してくれた。 それだけで充分だった。
これからどんな人に逢って、悲しみも喜びも共に乗り越えていくのだろう。
今私は晴れ晴れと彼を送り出すことができる。
有難う、そしてさよならと。

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