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今年の漢字について投稿したわけですが、こっそり理由を投稿したいと思います。


(私の過去の話なので、そういう自分語りが嫌いな方は避けてください。)







私は友人が少ない。


そもそも友人というものがどういう関係性なのか、はっきり言える人はあまりいないだろうけれども。

少なくとも、気軽に連絡を取り合える人は少ない。

ましてや、気軽にご飯を食べに行こうと誘える人も、再会した時にすっと声をかけられる人も、逆に声をかけてくれる人も少ない。





中学まで関わりを持っていた友人はある時を境に0になった。


知ってる人は知ってると思うが、私は同窓会に行ったことがない。

コロナ禍で行けなかったわけでもないし、行かない選択をしたわけでもない。

そもそも開催されること自体知らなかった。


中学生時代、吹奏楽部の一員としてみんなと仲良くできていたと思っていた。
学校以外でも遊ぶ子は多かったし、連絡先を交換していた子も何人かいた。


成人式当日、たまたま話した子が「今日同窓会参加するの?」と話の流れでポロッと言った。

何も知らない私は頭が真っ白になった。その時になって初めて同窓会があることを知ったからだ。


成人式のために三年間髪を伸ばしていた。母の意向ではあったが、長く伸びた黒髪を綺麗にセットしてもらえたことに内心喜んでいた。

周りを見渡しながら、あぁこの人たちはこのあとの同窓会で髪型を変える想定で髪を結っていたんだな…と思った。


写真を撮りづらそうにしていた子がいたので「撮ろうか?」と声をかけた時、「大丈夫だよ〜!〇〇(私の名前)も後で一緒に撮ろうね〜!」と言ってくれた子がいた。

その後その子に声をかけられることはなかった。余計なお世話だったのかもしれない。



私は同窓会に行きたかった。その後主催者を見つけて行きたいと言ってもよかったのかもしれない。そうなったとしても、着ていく服なんて用意できなかったと思うが。



成人式からの帰り道、いろんなことを思い出した。
高校生の時、中学の同級生から連絡があった。
「中学時代にお世話になった先生が入院することになったんだけど、卒業生皆で写真を撮って送ろうって話になっててさ。〇〇(私)ちゃんも一緒に撮ろう。」

その子も含め何名か私と同じ高校に入学していたので、皆で撮る日がわかったら教えてほしいと伝えた。


その後数日経っても連絡が来ず、改めてどうなったか確認したときにはもう撮ってしまったと言われた。

まぁ私だけ部活違うし仕方ないかと納得させた。


私1人やなぁ




成人式の後、祖父母も含め家族でご飯を食べた。

レンタルした着物を返した後、真っ先に美容院へ向かった。

成人式のために伸ばした髪はかなり長くなっていた。




多分今、他の子達は同窓会を楽しんでいる時間だろうな




店員さんにどのくらい切るかを聞かれ、30cm以上切ることになりますが大丈夫ですか?と何回も聞かれたが、思い切りお願いしますとだけ伝えた。


鏡の前、カミソリで髪をばっさばっさと切られていく間、溢れそうになる涙を必死に堪えていた。自分の姿は見れなかった。




友達だと思ってた。




その後、同窓会に行くかどうか聞いてきた子にお願いして、中学の同級生が集まるグループラインに招待してもらった。
その時に同窓会の出欠について、このグループラインで完結していたことが発覚した。
そしてその後目の当たりにしたのが成人式と同窓会の写真だった。

カメラが趣味な同級生が撮ったものだ。

写真がたくさん並んでいた。

私が写ってる写真もあったが、私の姿はほぼ風景と同化している上にボケいたり見切れていたり、誰とも被らなかった赤い着物が辛うじて私と教えてくれているような写真だった。



あぁ、皆とても楽しそうだね






その後何年か笑えなくなった。

過食(胃はいっぱいなのに、固形物が喉を通る感覚がないと安心できない。食べても食べても満たされない。)からの拒食、こうなったのは自分の見た目が悪くて、性格も悪くて、だめな人間だからという偏った考えから来る自尊心の欠如と自傷。不眠、悲しくて涙が止まらない。



友達だと思ってた。




この件について、誰かにぶちまけたかった。当事者である全員に。でも、誰のせいでもないということはわかっていた。

誰に対しても怒れない。

怒ったとしても、知らなかった、わからなかったが通る。





あれからもう5年が経とうとしています。


自尊心も少しずつ回復してきています。
息がうまくできず、吸って吐いてを意識しないとできなかった時から比べれば、ずいぶんと楽になったものです。


「許す」というのは少し違うのかもしれません。「そろそろ無関心になろう」と言うほうが近いような気がします。

自分の怒りに対して無関心になろう。

だってもう疲れたもの。


誰かを恨み続けるのにも体力がいる。


こんなことに時間と労力を使っているのはバカバカしい。

それより、自分を大切にしてくれる人に目を向けよう。




保育園から小学校の間いじめてきた人たち、中学の時休み時間中執拗に追いかけ回してきた人、それを見て助けてくれなかった人、指導の一環で人格まで否定してきた先生、高校の時自分から絶交したのにtwitterで謝りたいとつぶやいている元親友、責任を私だけに背負わせて逃げた人。


許せない人は当然います。

でも、もう自分の世界からはじき出すことにしました。




私が私を否定しても意味ないんだよ。

全部私が悪いとか思ってても報われないんだよ。


むしろここまで足掻いた私を褒めたいよ。

よく頑張った、よく生きてきた、よくここまで耐えてきた。


自分を大事にできれば、きっとこの先大丈夫。

だから、私の中の「許せない」に無関心になって、自分を許そうと思います。



そんな決意でした。



私は友人が少ない。

でも、大事にしたい人はたくさんいる。





これでいいと思う。

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