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「理不尽に耐えることで、精神力が鍛えられる」~アンチいじめ・体罰・パワハラ宣言〔クリシェ【凡百の陳腐句】27-1〕

※過激な表現注意。

「理不尽に耐えることで、精神力が鍛えられる」。


この言葉を錦の御旗に掲げて、いじめ、体罰、パワハラを平然と行う者がいる。 

ひ◯◯きじゃないが、「なんかそういうデータ」でもあるのだろうか。 

俺は、こういう輩を心の底から軽蔑する。

「お前のような"無能"に、精神鍛錬を依頼するわけないんだがなぁ」。

そもそも、いじめ、体罰、パワハラをしている時点で、「人を動かす努力」を怠る"無能"なのだが、宣っているのなら"なおさら"だ。

「理不尽な仕打ちで、精神力が鍛えられる」

と思い込むのは勝手。

だが、「強靭な精神力を持つようになる」ことが、"どういうことか"わかっているのだろうか。      

「理不尽な仕打ちで、精神力が鍛えられる」

「理不尽に対する耐性が身につく」

「"お前"相手ににガンガン逆らえるようになる」   
+
「"お前"にどれだけ嫌われようが、どれだけ諦められようが、どれだけ相手にされなかろうが、そのことを"損失"とみなさなくなる」


ということなのだが、ここまで考えが及んでのことだろうか。

「いじめ、体罰、パワハラをした相手が、精神力が鍛えられた末に"反逆"してきたとしても、また良し」

としたうえでの態度だろうか。

だとしたら、

「大したもの」

なのだが。

俺自身、"そういう"理不尽をそこそこされてきた人間だ。

こういう仕打ちに対して

「おかげで精神的に強くなれたよ!ありがとー!」

なんて想いが、

"1ミクロンたりともあるわけがなく"、

憎しみ100%。

「邪魔。金輪際関るな」


と、今ならはっきりとした"拒絶"を突きつけられるだろう。

これは俺が「精神的に強くなった」のではない。

「"袂を分った"今、思っている以上に"無視できる存在"だった」

と了知しただけだ。

ところで、僕は最初から今までかなり強めの表現を用いている。「心当たりのある者」が不快感を覚える程に。  

もちろん、"わざと"だ。

「理不尽に耐える精神力って、例えばこういう不快感をグッと堪えて甘受することですよ?"お前"できる?」

と問うために、"あえてそういう言い方"をした。

「できない」というのなら、

「己の精神力が未熟であるにもかかわらず、頼まれもしない他人の精神を鍛えようとしていた」ということ。

やはり、

「無能」

というには十分だ。


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