「体罰」について一考〔フォーカス【現象の考察】13-1〕
まず、そもそも体罰は「犯罪」である。
「体罰」と同じ行動を、そこら辺を歩いている無関係の人間にやれば即逮捕。
やった人物には、刑事罰が科せられ、損害賠償を請求され、社会的信用が失墜するといった結果がもたらされる。
れっきとした「反社会的行為」である。
それは、相手が「未熟で指導すべき子供」であっても同じことだ。
「しつけ」「愛の鞭」といった"戯言"を宣っただけで免責になる理屈はない。日本の刑法はザルではない。
(現に"あの人"は書類送検されている)。
また、体罰がしつけに有効であるとするエビデンスは存在せず、逆に「子どもの脳に深刻な影響を及ぼす」ことがわかっている。
さらに、体罰は「子どもの非行や反社会的な行動にも強いつながりがある」と結論づけた調査もある。
体罰は、科学的にみて「"有害"でしかない」。
そんな「百害あって一利なし」な体罰を、むざむざと行う教育者は「無能」でしかない。
利益を出すつもりの判断・行動で、赤字を垂れ流す会社経営者が有能とはいえないのと同じである。
そして、体罰は「犯罪」であり、「有害」であるから当然忌避の対象である。
ゆえに、必然的に体罰によらない適切な教育法・指導法が日本中あるいは世界中で研究されづけ、日々考案・提唱されている。
また、体罰を一切行うことなくチームを優勝に導いた、青山学院大学陸上部監督の原晋氏のような「成功例」も存在する。マイケル・ジョーダン、リオネル・メッシなど海外のトッププレイヤーは軒並み体罰など受けていない。
体罰をする教育者は、これらに学ばない。子供には「努力しろ」などと声高に叫ぶくせに、自分は適切な教育を模索する努力を怠るのだ。
その理由を推察するに「経験豊かな大人のオレ様が指導してやっているんだ。当然正しい決まってる。未熟なガキ相手になぜ努力などせねばならんのだ」とでも考えているのだろう。
「怠慢」および「増上慢」である。
なぜ、こんな「小物のるつぼ」のような大人を、子供は尊敬しなければならないのだろう。
崇高かつ深淵なる理が"在る"、というのならお聞かせ願いたいものだ。
体罰を肯定する教育者は、子供の成長や才能開花にとって「邪魔」でしかない。
(参考資料)
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