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「結果が出ないのは、努力が足りないからだ」〔クリシェ【凡百の陳腐句】5〕

 青山学院大学陸上部監督の原晋氏は、記録が伸び悩む選手に対して「これだけ努力しているのだから、他に原因があるのだろう」と考えた。そして、トレーニング法や食事などの科学的・客観的アプローチから、選手が抱える問題の解決の道を示したという。

 このエピソードは、彼が"一流指導者"であることを如実に示している。

 凡庸なコーチなら、「努力が足りないからだ」で片付けるであろう。その方が"楽"だからだ。

 確かに、相手が本当に行動を怠っているならば、こう言ったとしても仕方ないであろう。

 しかし、このセリフを"既に相応の行動をしていながら暗中模索にいる者"に対して言っているとすれば、

「愚か」

である。

 思うに、人が困難に直面したとき、「努力」という"言葉それ自体"はなんの"光明"にも"道導"にもならない。具体性がないからだ。

 しかし、「努力すること」そのものはなまじ"間違っていない"ばかりに、いっぱしの指導をした気になってしまうのだ。

 そのような者こそ、まさに「努力が足りない」といえる。

 暗中模索にいる者に対し、「困難打破の光や道を示す努力」が。

 もし、相手が自力で光や道を見出し、困難をクリアできたならば、「あんた必要なかったね」となるが、よいのだろうか。

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