コミュ障でも話がしたい。

唐突にnoteに登録してみようと思った。
と、言うのも、何処かに書かずにはいられないといった衝動性があったからだ。
ぽっと新参者の私が、いきなり登録した経緯など詳細に語っても面白みはないだろう。なのでかいつまんで書く。

noteに惹かれた理由は、なんかみんな自由に、自分のことを言えているように感じたからだ。
コミュ障の私は、それがたまらなく憧れる。

過去、何度も色んなジャンルのブログに手を出した。
私を知らない誰かに、私を知ってほしい。
コミュ障のくせに、そんな欲求はある。
今は匿名で色んなところに、きれいな気持ち汚い気持ち吐き出すことが出来るだろう。共感もしてもらえればなおのこと救われた気持ちになる。
しかし、悪意持って傷つけてくる人もいる。
その洗礼を受けて、言葉が出てこなくなってしまった。
レスバトルとはよく言ったもので、あれは勝ち負けのある殴り合いだ。
辛くて辛くて仕方なくて叫んだ心に、嘲笑いながらメリケンサックで殴ってくる。匿名性の強いところで弁の立つ人なんて、どれだけいるだろう。コミュ障の私は即座にノックアウトだった。即逃げた。あんなもん逃げて当たり前だ。いや、それでも2発くらいは殴りかえしたかな。
それでも鬱屈とした気持ちは無くならない。
意味なく同じ悩みをグーグル先生に問いかけ、ひたすら上から自分の心を慰めてくれるようなページを探す。
そんなときに出てくるのが誰ともしれないnoteの記事だ。
みんな、自分の言葉で話している。私も同じ気持ちだ。

ああ、そうか。
私は、コミュ障だけど話がしたいのだ。
決して、言葉が上手ではないけど。見栄っ張りだけど。すぐ逃げるけど。
私の中にはたくさんの言葉が渦巻いている。
誰かにかけたい言葉、悲しかったこと、嬉しかったこと、頑張ったこと、もっと人に知ってほしいこと。
多様性を訴える今、こんな私がいてもいいじゃないか。

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