信用マジック
人間関係は、信用だと思う。
『信用』ときくと信用信金!て感じでお堅いイメージがするけれど
信用って実際には、ファンタジックでふわふわ柔らか~なもので、ミッキーの魔法の杖から出るラメラメに光るリボンのような感じだ。
人に対して自分がとった態度を、どう受け止められたろうか?とヒヤッとしたら、相手はそんな冷たい受け止め方はしていないだろう、と思い直す。
きっとあの人はイイヒトで、良いように受け止めてくれただろう!と根拠なく相手を信用する。
一事が万事、これでいくと、人間関係がめちゃくちゃ楽だ。
もしかして…「失礼ね!」と気分を害したのではないだろうか?
と相手の不満げな顔が思い浮かんだら
ラメのリボンをくるりと回して
いや、大丈夫でしょ!あの人なら。と信用する。
そうしないと、何度も不満げな顔を想像して、次に会う時とか、電話で話す時には「きっとあのときは怒っていたのでしょうね」と勝手にほぼ確定とかしちゃって、心がきゅっと萎縮してしまってたりする。
昨日、このコロナ第二波の感染急増中のさなか、大きな声で言えないが、カンファレンスを開催させて頂いた。
お誘いしたかた全員が出席するという快挙で、総勢◯人が集まった(なんか伏せる)
出来るだけ簡潔に早く済ませようと思って、タッタカター!と進行させていただいた。
カンファレンスで目的としていたことは、全て見通しを得て、大変有り難く終わることができた。
けれども、この時世での会議開催に恐縮してしまい、私としては焦りがあったと自覚していたので、解散後に近しい人へ「私ばっかりべらべらと、でしゃばって仕切り過ぎたかな?」と不安を伝えると「誰かが仕切らないと進まないよ。ようあんなにペラペラと喋れるわ!その口を私も欲しいよ!」と褒めてくれたので(大阪ではこれは称賛です)
他の参加者はどう感じたかは解らないが、誰でもない、目の前の、そう答えてくれた彼女の言葉を参加者全員の代弁として無条件に信用しよう!とマジカルラメで、恐れや後悔はなくなった。
また、このnoteを読んでくれている知人に「私、いつも変なオカシイこと書いてるかしら」と言うと「うまいこと書けてるとおもうよ」と言ってくれたので、その人は特に文章好きな方ではないけれど、もう、名編集者くらいに信用して、そっか、この人がそう言うならいいか!と、両手広げて好きにしていいと思えた。
自分の言葉が足らなくても、受け取った相手を信用して
任せてしまって申し訳ないけど、信用して
会わなくても、声だけで信用して
不信感を持たれても、そのうち理解してくれると信用して
やり方が変わっても、やってくれると信用して
忘れっぽい人に念を押し忘れても、たとえ忘れたとしてもなんとか乗りきってくれて笑えるだろうと信用して
自分が成長するように、周りもたえず成長していると信用して、以前のあの人とは違うから大丈夫!と信用すると
不思議となーんか上手くいく。
あえて信用したことなんて、いちいち覚えていないくらいに、なにも問題はおきなくなる。
周りを無意識に信用した状態はマジカルで、人生楽だと思う。
この、ふわふわの信用を利用するには、慣れるまで少しだけ気合いが要るかも知れない。
信用はあいまいで見えないし
不安でいたほうが安心だからだ。
慣れているなら不安でいるほうが簡単だ。
信用しないで自分が納得できる対策をしたほうが、自分が満足する気になる、そういう仕組みになっているようだ。
信用さえしなければ、上手くいかなくても「やっぱりね」と言えば済むしね。
それから
相手を信用しようと思っても、相手を信用する自分を、実は自分自身が信用していなければ、ヤッパリネの間違いが起きる気がする…。
鍵はいつでも自分だ。
私は、ふわふわ実証のない『信用』で、自分を内包した相手を信じると、イヤな思いをしなくなるとおもう
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