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いきているだけで

介護職である私は、お年寄りが好きだ。
年いった人には敵わないから。

気質として私は、生きることを修行のように感じているために、何十年も『生きている』それだけで『スゴイやばい』と思う。
尊敬しているとも言える。

尊敬は免罪符になる。


どんな生き方だったとしても70年80年と『ここまで生きてきた』と云うだけでなんか立派だな、と無条件で思っているところがあって、無意識にリスペクトしている事が相手に伝わるのだろう。免罪符を心に持っている私は、お年寄りと付き合うことが難しくない。

逆に若い人や子供には苦手意識がある。
年が若いほど進化していると、これまたどこかで信じているからだ。

子供は「無意識の理解が深い」と感じており、へたをすると自分の小ささを見抜かれるくらいに思う。


子供の可能性が大きすぎて予測がつかず、余計な邪魔をしたくない思いがあるし、未知の進化をこれから成し遂げていく人類として、若さや若い人に畏れがある。

子供たちには、分かりきっている古い手は出せない。求められたときに、自分の持っているものを出すだけだ。

自分の子供に対しても、あれこれと言うことは必要性を感じない。私などが口出ししなくとも、そのまま生きているだけで、ひょいとハードルを越えていくだろう。

子供に対しては、中国の寓話である、よい統治者を目指すのがいいと私は思っている。

土地の民が、敏腕で切れ者だと畏敬する君主よりも、おかげで豊かであると感謝し褒め称える君主よりも、さらに理想的な良い統治者とは、民が名前も存在も忘れてしまっているくらいの君主だ、それが一番、土地に平和をもたらしているよき統治者なのだ、というような話を読んだことがある。

私も、母親として忘れられるくらいの方がいい。




私が死ぬ前には子供に、お母さんにあれもしてあげたかった、これもしてあげたかった、と思われないように好き勝手に生きて、「いや、まじお母さんは好きなように生きてたわ。悔いもないやろ」と葬式で笑われるくらいになりたい。


生きてても死んでてもお母さんは同じようなもんや、見守っているだけやもんね、と安心して暮らしてほしい。

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