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夏越の大祓~茅の輪~

 全体記事34記事目は久しぶりの神道の記事にしたいと思います。
本日は6月30日、一年もちょうど半分が過ぎたことになります。
この日は全国の神社さんで一つの行事が行われます。
夏越の大祓(なごしのおおはらい)です。
この行事では、半年にたまった厄や穢れを祓ってしまおうという意味があります。

大祓詞という奈良時代以前から存在し、1200年以上の歴史を持つ古い祝詞があります。
しかも最も広く普及し、いろんな場面で唱える祝詞として現代に到るまで変わることなく存在している祝詞です。
この祝詞ですが、1年の中で必ず読む日が2日あります。
6月30日と12月31日です。
(専業で神職の方は毎日詠んでいると思います。)
約900文字ある、祝詞の中でも長い部類に入ります。
大祓詞に関してはまた別の機会に詳しく説明したいと思います。

体にたまる厄や穢れとは

 人間は生きていると体にたくさんの垢(あか)が溜まります。
それと同じように厄や穢れも溜まっていきます。
垢はお風呂に入ることなどで落とすことができますが、厄や穢れにも落とす方法があります。
それは神社での参拜です。
お手水で清める、これも一つの方法です。
また、神社で修祓と呼ばれる儀式によって祓ってもらうという方法もあります。
とくに6月30日の夏越の大祓、12月31日の大晦日の大祓に大祓詞を読むということで落とすことができます。

 余談ではありますが、穢れ(けがれ)とは「気枯れ」と書くことがあります。
「気」が「枯れた」状態を気枯れ、つまり穢れた状態というのです。
つまり、気力や元気が枯れた状態、疲れた状態になります。
こういうときには神社に参拝して清々しい気持ちになることも大事ですし、「ハレ」の日というように好きな御馳走、好きな服を着ること、つまり特別な食事や衣装でも穢れた状態を回復することができます。

茅の輪

「水無月の 夏越の祓 する人は
千歳の命 延ぶというなり」

 夏越の大祓の日には「茅の輪(ちのわ)」と呼ばれる茅(かや)で出来た輪っかが全国の神社さんに多く見られます。
(ほとんどが素盞嗚尊や厄祓いに縁がある神社さんだとは思います。)

この章の冒頭に紹介した歌を唱えながら茅の輪をくぐると半年分の厄や穢れが祓われるとされています。
また、この歌を覚えることが大変だと、
「祓い給え清め給え 守り給え幸え(さきはえ)給え」
という言葉でも構いません。

茅の輪(ちのわ)の由来

 「茅の輪」を語る上で欠かせないのが『備後国風土記(びんごのくにふどき)』に記されている「蘇民将来(そみんしょうらい)」の伝説になります。

 八坂神社の主祭神であります素盞鳴尊(すさのおのみこと)※1がヤマタノオロチを退治した後、南海に向かうために、旅をしている途中のことです。
日が暮れてしまったので、蘇民将来(そみんしょうらい)、巨旦将来 (こたんしょうらい)という兄弟の住む地で宿を求めたところ、弟の巨旦将来は裕福であったにもかかわらず宿泊を拒みましたが、兄の蘇民将来は貧しいながらも喜んで厚くもてなしました。
その数年後、蘇民将来のもとに素盞鳴尊が再び訪れ、「もし悪い病気が流行ることがあった時には、茅で輪を作り腰につければ病気にかからない」と教えたとのことです。
その後、疫病が流行したときのことです。
巨旦将来の家族は病に倒れましたが、教えを守った蘇民将来とその家族は茅の輪で助かったというのです。
この言い伝えから「蘇民将来」と書いた紙を門にはっておくと災いを免れるという信仰が生まれました。
茅の輪も当初は伝説のとおり小さなものを腰に付けるというものでしたが、しだいに大きくなって江戸時代初期になり、大きな茅の輪をくぐって罪や災いを取り除くという神事になったのです。
参考: 備後国風土記
※1…「備後国風土記」では武塔神(むとうしん)という神が旅をしていることになっています。
この武塔神は素戔嗚尊であるとも牛頭天王であるとも考えらています。

以上が「茅の輪」の由来になります。

特に今年には意味があります。

 今年は特に力を入れて茅の輪を設置している神社さんが多いです。
それは「疫病退散」の意味があるからです。
新型コロナウィルスが猛威を振るうこの世の中において、神社界でも疫病退散の祈祷を行うところが多くあります。
茅の輪も6月30日だけに限らず早くから設置している神社さんも多かったようです。
アマビエが流行っておりますが、ぜひ茅の輪を見かけたら厄落とし、穢れ落とし、そして疫病退散のためにくぐってみてください。

残り半年

 今年も残るところあと半年となりました。
今年は特に前代未聞の未曾有の大厄災の年となっています。
それは残りの半年も変わることはないでしょう。
来年まで引きずる可能性も高いです。
それぞれ一人一人が意識を高く生活することで乗り越えていきたいと思います。
地域の身近に存在する神社、今年は多くの神社でお祭りも中止となっていますが、本来は祈りの場であります。
大変な世の中に寄り添ってくれる存在でありますので、辛いときは参拝に行くのもいいのではないかと思います。

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