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母がいない母の日

子供の頃は、それなりにカーネーションをプレゼントしてみたりしていました。
受け取ったときの母の表情は記憶にありません。
喜んでいたのかさえも覚えていませんが、毎年たくさん用意されているカーネーションの中から、これといった一本を選んでいた自分の真剣さをほのかに思い出しています。

昨年の残暑に母が亡くなって以来の母の日。
実はその数週間前に、どういうわけか自分の中から母に対して感謝の気持ちが宿りました。
生前、元気だったときにも面と向かって、感謝の言葉を伝えたことはあります。それ以来、ことある毎に同じ言葉をしつこく求めてくるので、拒絶反応が強くなってしまったけど。
生きている間にしか、感謝の言葉も謝罪の言葉も面と向かって言うことが出来ない、そういつも思っていたので。

心境の変化とも言えるのかもしれない、まだ自分の中で母から受けた精神的虐待の傷は生々しいけれど。
赦すのとも違う、でも何故か「ありがとう」と伝えたくなった。
親というより、ご先祖様の一人になったという方が、当てはまるかもしれない。

近々カウンセリングを受診する。
そのときにこの話をしたくなったら、聞いてもらえればと考えている。
答えが欲しいわけではないけど、自分の中の何かがほんの少し変わったのだと、話すことで見つめられれば。

いまだに言葉にしつくせない、苦しみの中を生きているけれど。きょうだい親類のほとんどと絶縁したことで、自分を守れていると思う。
きょうだいに対しても、私が血縁者であることで嫌な思いをしているのなら、そのことを話せる誰かがそばにいますようにと願っている。

複雑な思いは一生抱えていくのだろうけど、それはそれとして。
母の日、ありがとう。いや、有難うございました。
来年、どんな気持ちで向かえるか分からないけど、今年は感謝の気持ちを伝えられることに、気付きました。

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