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生きてるうちに出来たこと

お読み下さいまして、有難うございます。

母が他界して今月で、7ヶ月。
しばらくはまだ生きているような気がして、現実と思考がチグハグでした。
虐待親ではありましたが、私が母がいる実家から逃げ出す前に言葉にして面と向かって「産んでくれて有難う。」と伝えることが出来ました。
生きている間でなければ、と思ったので投げやりにならないように、気を付けながら伝えました。ところが、事あるごとにニヤニヤ笑いながら「もう一度言ってくれ」と催促されるのにウンザリしてしまい、「しつこい!」とバッサリ切りました。
母から受けた虐待の記憶は、カウンセリングで明らかにされていく程に、私の中で怒りのマグマが沸々と沸くばかりで止められず。

そんな自分が、うつ病から来る身体的精神的な苦しさで、身体が強張り、不眠、食欲減退、爆発しそうな怒りが常にあり、外出もままならなかった中、ひゅっと我に返るように静まったときに母が亡くなって初めて「ありがとうございました。」と言えました。理由は分からないけども。

虐待そのものは、きょうだいに引き継がれてしまっているので、身を守るべくして音信不通になっています。終わらない。私が生きている限り、虐待は続いてしまう。

子供の頃から助けてくれるような身内がおらず、我が身を守るのは自分だと分かっていても、そういつも身構えているのはとても疲れる。
障碍者・弱そうな顔つきの女性という見た目で、犯罪に巻き込まれそうになること、先月だけで二度あった。
助かれば良いというものではなく、消えない恐怖心を植え付けられてしまっていることが、罪だと思っている。

守ってほしいなんて、握り潰されるだろうけど、何処に住もうと一人で自分を守りながら生きるのは、もうしんどい。
とあるネット記事に、重度障碍者に対して「殺処分でよいのでは」と書かれていて、私も殺処分の対象なのか、と。

この先、本当に生活しやすく変わるだろうか。
生きている間でしか、変えることは出来ないと分かっているけれど、ツラいな。

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