お葬式は区切り

未だに母の存在を感じながら、毎日を過ごしている。
家を出て随分経つけれど、まだ寝ているときに蹴られるんじゃないか、踏まれるんじゃないか?
はっと目を覚まして、自分がいまいる場所さえ混乱して分からなくなる。

私は母の葬儀に出なかった。
もし出ていたら、きょうだいを始め親類たちから睨まれたり誰も見ていない場所でまた虐待を受ける恐怖から、欠席することを選んだ。
それは後悔していない。

だけどそれが、母の存在を消すことが出来ていないのだと思う。
でももし、葬儀に参列したら新しい虐待を受けてしまうことになる。終わらない虐待から逃げて、まだ逃げきれなくて。

血縁者だからこそ、私の話を真面目に受け止めないものなのだ。虐待のこと、自死未遂のこと。
それらは母の口から出る、私の親不孝な態度が潰してきている。
虐待を受けても親孝行って必要ですか?
身体障碍があるから、親が元気なうちに一人立ちしている姿を見せることは、親孝行にはなりませんか?
いつまで血縁者や亡くなった母から、苦しめられないといけないのだろう。
終わらないのなら、生まれ変わった自分で作り出した人生だけを歩みたい。
あの世にいって会いたいのは、可愛がっていた小鳥たちだけで良い。

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