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巣鴨的プリズン

雪が降っているので久々になんか書く。メモは書いているのだがキーボードにしばらく触っていないので指先を動かして脳を動かしたい。
https://news-prime.abema.tv/posts/23630493/
を観て、感想。

 毎度、問題提起となる高齢者の受刑者問題。これはシャバで解決に向かわない問題を刑務所だけで考えるのはなかなかいいギャグだなと思っていた。

 この放送内で元受刑者に対して「更生されたんですよね?」
という発言があって少し考えていた。いったい更生とはなんなのか。
 僕はこの先なにがなんでも盗みや殺人を犯さないとは言い難い。それを絶対にないと言い切れる人間の方が僕にとってはどうやら怪しい詐欺師に見えてしまう。
 今、そのスタジオでペンを手に取り、頸動脈を狙えばすぐにこの更生の反対に、塀の中に行けるのだ。壁、いや、紙一枚隔てたところにソレはある。
 僕もこれから「次期受刑者」として生きていることは忘れてはならない。

 話は変わる。刑務所ついでに思いつき。
数ヶ月前からリモート会議する機会があったのだが、すごく疲れた。僕はなぜこんなにも疲れたのか、自宅あるいは会社、ビジネスホテルなどでリモート会議やったのだがなぜ疲れるのかを考えた。構造がパノプティコンだからだ。

ジェレミー・ベンサムの考えた刑務所の構造パノプティコン

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全体を監視するには、中央に人を置き一望できればよいのだ。この構造、リモート会議そのもの。
従来行われる会議では会議中全員を視野に収めるということはないし、発言者或いは注目する対象から目線を外すということもある。許容というか遊びの部分が多い。しかし、リモート会議(授業でも)は全員が全員を監視しているのでかなりストレスが溜まる。
 
 パノプティコンの構造てSNSそのものではないかと、見ている、見られているということは高揚と圧力を生む。
 そのうち寝ないで飯食わないで働いて、どっちが刑務所かわからなくなる。
僕はだから「次期受刑者」と認識して生きていく。

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