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悲しみの乗り越え方


学校では本当に大切なことを教えてくれない。

とはよく言われること。

人はどうしようもなく辛い出来事があったときにどうやってそれを乗り越えていけるんだろう、と思う。


”辛さ”には2種類ある。

みんなで共有できる辛さ、と一人で苦しむ辛さ。

前者はまだ耐えられる。気持ちを共有できる人がいるから。

だけど後者は一歩間違えると精神が崩壊しかねない。とても危険だ。


前に1度、目の前の世界から色が消えたことがあったのを覚えている。その時はとても頑張っていて、でもうまくいかない状態が続いていた。きっと悲しい、とか苦しいとか感じていたんだと思う。身体もだるくなって疲れがとれにくくなっていた。それでもこの苦しい状況を乗り越えられれば成長できる、振り返ればいい思い出になると思って自分の身体と気持ちが発する危険信号を無視し続けていた。

そんな時だった。朝起きて目を開けると、部屋がいつもよりどんよりしていた。おかしいな、と思いながら外に出てみると昨日までしっかり見えていたはずの色が全部なくなっていた。見える世界がすべて白と黒の状態になっていた。

とてつもなく焦った。急に目が見えなくなった?いや、でも目は見えている。だけど色が見えない。すべて白黒になってしまった。そこでようやく自分が限界を迎えていたことに気づいた。

いままでの感情、身体が訴えてきた危険信号を無視した結果がこれだった。

たぶん私の身体は私がこれ以上傷つかないように、感覚をまひさせたんだと思う。

そこから何日か、なにを見ても感情が動くことはなかった。どんなに悲しい映画を見ても、周りの友達が笑っている場面でも一切感情がわいてこなかった。感情がわいてこなかったのでその状態に対して怖さも抱けなかったけれど、冷静に「これはやばいぞ」と思った。

私はもともと感受性豊かで創造力がある人間だった。だから感情がなくなる、世界から色がなくなるというのは私にとってあまりにも致命的だった。

自分自身に対して無理させてごめん、と謝りながら身体を大切に過ごしたらだんだんと色が戻ってきて感情も戻ってきた。


もう二度とこの時には戻りたくない。

それ以降、”辛い”と感じたらちゃんと一人で抱える種類の辛さではないか確認するようにしている。



でも人間生きていると、どうしても一人で向き合わなければいけない辛さがやってくる。

それは人とのつながりの終わり。

友情の終わり。

恋愛関係の終わり。

知人・家族の死。

友情も恋愛関係も友達に戻れるのなら終わりではない。だけど二度と修復不可能になったとき、その人ともう会うことはないだろうと思ったとき、死と同等の悲しみをもつと思う。

生きている限り、人は一人では生きることができない。

いつでも人とつながりを持って生きている。そのつながりが深ければ深いほど、お別れの辛さ、悲しさも深くなる。

そしてそれは人とは完全には共有することができない類いの辛さ。

自分で乗り越えていくしかないものなのだ。


みんなどうやって乗り越えていくんだろうか。

「私結婚して離婚したけどその次の日にはクラブ行って踊りまくってたよ!フリーになった!!!ってね!」

と笑いながら言ってきたブラジル人のシングルマザー。

強いなあ。そんなふうになれたらなあ、と思うけど、それは彼女が強いからであって大抵の人はそうではない。


乗り越える一番の方法はきっと忘れること。

これは決して無理して忘れようという意味ではない。

その場からちゃんと動くという意味だ。

もちろん悲しみが大きければ大きいほど簡単には動けない。

だから動く準備を整える。

あったかいお茶を飲んで、ビックシャワーを浴びて、ぐっすり眠る。

自分の感情が落ち着いてきたら、プラスの思い出にちゃんとありがとうと言う。マイナスの思い出は許してあげる。

ネガティブな感情は自分をその場にとどめてしまうから。全然許せなかったら、また自分に優しくして、時がたつのを待つ。時間は本当にすごい。日にち薬とはよく言ったものだ。

人間の感情は本当に複雑で、たくさんの要素が含まれている。憎しみは憎いという意味だけではなく悔しい、辛い、悲しい、たくさんの感情から出来上がっている。だから向き合うのにはとても時間がかかる。ましてやその感情は自分の中にあるもの。外から見えるものではない。自分の中にあるのに自分でもよくわかっていない。本当に厄介なものだ。

だから大きな悲しみにあったときに、忘れようと思って忘れるということはできない。忘れる、というのは結果論だ。動いていけば自然と忘れていたというだけのこと。

私たちは恵まれたことに3次元世界に住んでいる。私たちがとまっているつもりでも、時間は流れて、世界も動いている。だから自然と大きな悲しみを過去の思い出にすることができる。もし悲しみをずっと抱えているとしたら、それは私たちがぎゅっとつかんで手放していない状態なのだろう。

ほぼ日の今日のダーリンで引き出しの話があった。出すのが先で入れるのが後という話だ。みんなものを欲しがるけどたくさん入っている引き出しにものは入らないから手放さないといけない。

悲しみの話も一緒だ。私たちが生きているのは今なのに、悲しみをぎゅっとつかんで離さずにいたら、流れてくる新しい喜びや楽しい出来事をつかめなくなってしまう。

だから私たちは乗り越えなきゃいけない。し、意外と乗り越えられる。

人間はとても弱い。簡単にストレスをかかえて、たくさんの悩まなくていいようなことで悩む。人を精神的に殺すことなんてたやすくできる時代になってしまった。

だけど人間は意外と強い。ストレスを受けたらどうにかしてこの個体を生かそうかとあれこれ手を尽くしてくれる。私たちが考えるよりもぜんぜんたくさん。自分であって自分じゃない不思議な感覚だけれども。


どうしようもなく辛い思い出をうまく乗り越えるためには、忘れようとしないこと。無理して忘れようとすると、一時的にはその思い出を心の奥底にしまって忘れたように感じるかもしれない。だけど何かの拍子にその思い出が引き出されてはじけてしまったとき、かなり危険な状態になってしまう。


ありがとう、と感謝して、ネガティブな感情は許せるようになるまで時がたつのを待って、そうやってまた進んでいく。

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