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23歳、ちょっとここらで年齢の話をしようと思う。

At first, this story about age inspired by friends who I met in Sydney. Although I'm gonna write in Japanese, someday I'll translate in English. Thanks guys.

 (画像はニュージーランドのクイーンズタウンを飛び立った時の景色🐑)

「人生ってのはエスカレーターでさ。自分はとまっていても、いつのまにか進んでるんだ。乗った時から進んでいる。到着するところは決まっていてさ、勝手にそいつに向かっているんだ。だけど、みんな気がつかねえんだ。自分のいる場所だけはエスカレーターじゃないって思ってんだよ」(伊坂幸太郎『オーデュボンの祈り』)

年齢について、ずっと考えていた。

様々な意見はあるだろうが、私はやっぱり年齢というのはただの数字な気がする。

私は中高ゴリゴリの柔道部に所属していたので、年功序列が体にしみこんでいる。OB戦の時、休憩時間にはいるとすぐに、一番下の学年がOBの先輩たちに年齢順で水を渡していった。柔道を始めたばかりの中一の私は、中三の先輩とは圧倒的な体格の差と、いうまでもなく技術の差があった。先輩の機嫌が悪い時は投げ方も手荒くなることがある。柔道は他のスポーツに比べて自分の体そのもので戦うので、年上は絶対という感覚は言葉と共に体にもしみこんでいった。

この年上が絶対の雰囲気、精神を鍛える柔道で発揮される分にはいいと思うけど、社会生活においては年齢関係なくフラットに意見交換できるほうがいい。双方向にとって新しい世界の見方が開かれるかもしれないから。

海外で感じた年齢が持つ意味

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(空の写真見てたらスカイダイビング思い出したので今回はそのシリーズ)

2020年の2月までつい最近の7ヵ月間、私は英語圏のオーストラリアで暮らした。英語には敬語がなかった。年上だから丁寧な言葉遣いをするということはなく誰に対しても「Thanks!」で済んでしまうのだ。

「あっ英語だと年齢関係なく、こんなにフラットに話せるんだ!」

これは英語で会話をしていくうちに、私が強く感じたことだった。対等にいろんな国の人と話せる環境があることでたくさんの価値観が私の中に入ってきた。国が違くても年齢によって悩みが似たり寄ったりなことがあった。例えば、語学学校にいる人は20代後半から30代の人が多かったりする。その中では仕事のことで悩んでいる人が多かった。同じ年齢層の女性の場合だと、周りから結婚に対するプレッシャーを感じるという悩みも聞いた。

英語だと誰に対しても同じ言葉を使うので、年齢を意識することが本当にない。だから年上にも素直に「なんでそう思ったの?」と聞ける。そうすると、さすがは年を重ねてるだけあって経験を積んだ上での視点からの考えが聞ける。これが実にいい。そして向こうも「なぜそう思うの?」と聞いてくるのでまともな意見交換ができる。

ただ単に視点が違うのだ。


身の回りを切り取った世界が23歳とたとえば30歳だと7年分の差がある。つまりは経験が単純に7年分ある。7年分の差は大きいが、その23歳と30歳は完全に同じ人生をたどってきたということはないはずで、それぞれの視点がある。たとえば、タスマニア旅行で出会ったニューカレドニア出身の女性は島国だからゴミの輸出問題がとても深刻でカナダで大学生時代、フランスで院に行き、最近久しぶりに母国に帰って国で環境問題の仕事をしているのだ。


世界は同じ。人によって世界の切り取り方が違うだけ。人は自分にとって都合の良いようにしか世界をみない。そしてその切り取った世界がその人の世界になる。

これは講義を受けた時に今でも覚えている衝撃的な話。

ニューカレドニアの人と私は同じ地球に住んでいる。だけど、彼女は私よりももっと環境問題を彼女の人生において重要視している。なぜなら彼女は私よりももっと身近に環境問題を抱えて生きてきたから。

環境問題に取り組むことは重要なんてことは誰でも分かりきっている。だけど結局はその人の世界にその問題が映り込んでいるかどうなのかだ。そしてその世界を映すのはその人の視点であって、その視点は生まれ育ってきた環境で育まれる。

つまり、23歳の視点も30歳の視点も、その人がどのように世界を切り取ってみているかという点で見れば同じように価値がある。


同じ経験をしても年がたてば感じ方が違う

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(飛んだ瞬間。なんか落ちるとかを超えてた。人間って空飛べるんだ!)

思い立ったが吉日。という言葉には大いに賛成したい。

「留学なんて社会人になってからもできるよ」

留学を決めたときにこの言葉を言われた。

そうかもなぁ、と思いつつ、「でも”いま”留学をしたいと思ったからいますることに価値があるのだ!」自分を納得させてオーストラリアに旅立った。

留学して2ヵ月がたち、ホームステイからシェアハウスに移動したときにハウスメイトにそういえば、とこの話をした。

するとシェアメイトは

「もしあなたが5年後にする留学をしたとしてもいまの留学で感じているものは感じられないと思う。」

と言った。

そうかもしれない。時がたてばその間にまた新たなことを経験する。だから同じ国の同じ地域に来たとしても同じ感覚には絶対にならない。


今できることが来年できるかはわからない

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(もはや私うつってないね!まだパラシュート開いてないから急降下中!)

「なにかやりたいと思った時に必ずやれ。数年後、状況は変わってやりたいと思っていたことは絶対にできなくなるから。」

シドニーを旅立つ時、メキシコ人で車のディーラーをしていた友達がくれた言葉。

日本に帰ってきて、久々に家族に会い、父と会話をした。


「いつか海外の院に行きたいわ~」

「いつ?」

「え~わかんないけど、自分のお金でいきたいから働いて、ある程度たまってそうな30代後半とか?40とか?」

「おまえ、40歳がどのくらいの年齢なのかイメージついてないだろう」

「...うん」


「から揚げを食べると胃にくるようになった」と30代で言っている人を見ると、20年後、いまと同じ体力ではいられないかもしれない。

たしかに高校生でディズニーに行くことになった時、早朝7時には並び始め、閉園時間まで遊んでいた信じられないほどの体力をもっていた頃と比べると、大学生の今ではアフ6で十分となっている。

いまは早朝7時から並んで閉園までいるなんてことは考えられない。


そう思うとやはり、思い立ったが吉日ということなのかな。未来のことは誰にも分からない。外に出て遊ぶという当たり前のことができなくなっているいま、それはより実感をともなってきている。


この年にしか行けない場所を、この年でしかやれないことを、この年でしか感じられないことを。

何歳になってもキラキラしているために、今を生きる。

一生懸命、誠実に、ちゃんと自分の人生を生きたい。

おすすめの映画置いときますね。おうち時間にどうぞ。

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(空は広い。自分が悩んでることがちっさく思えます。おすすめですよ!)


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