見出し画像

最近Webディレクターという仕事について考えていること

自己紹介

こんにちは、Webディレクターとして未経験からディレクションの仕事をはじめて1年半になります。
ありがたいことに、LP、コーポレート、サービスサイト、メディアサイトなど多様なサイト制作に携わらせてもらえました。業界もIT、コンサル、人材、医療、教育、飲食などなど様々な業界のサイトの制作をさせてもらってました。
役職としては、ディレクター(上に管理する人がいて実際に手を動かす役割)・プロジェクトマネージャー(ディレクターと兼任して自分が手を動かしたり、動かさなかったりしつつプロジェクト責任者としての役割)として30社くらいやってきました。未経験から1年半で30社って結構な数だと思います、たぶん。環境に感謝ですね。

ディレクションという仕事について

そもそも「ディレクター」という職種っていろんな業界にあるなあと思いました。広告業界だったり、テレビ業界だったり、映画業界だったり、コンサル業界にも?たぶんあるところにはありますよね。

それを少し狭くして、私の(一応)肩書きの「Webディレクター」というところに絞ってみても、
・事業会社のWebディレクター(社内のサイトを担当する)
・サイト制作のWebディレクター(クライアントワークで社外のサイト制作を担当する)
・システム構築のWebディレクター(表にはでないシステム、社内・社外)
という立場が違うWebディレクターがたくさんいます。

なので、Webディレクターってなにしてるの?と言っても本当に会社によって役割が違うので説明が難しいな、と毎回思っています。

そして役割が違うと求められるスキルや知識が違ったりしてくるのは当然のことで、システムの知識やSEOの知識やCMSの知識など本当に数えればキリがありません。

いまの私のしごとで必要なスキルは、いまぱっと思いついたものだとこんな感じですかね。
・スケジュール管理
納期に間に合うようにトラブルが起きたときに調整、またはトラブルが起きないようにリスク管理する
・品質管理
コストに見合った品質を担保できているか
・コミュニケーション能力
対クライアント、社内のデザイナー・エンジニアに必要な情報を調整したり工数が大きくならないようにしたりする

で!ここからが本題なんですが、私は根本的に管理するのも管理されるのもめちゃめちゃ苦手な人間でスケジュールとかも破ってなんぼ、どうせうまくいかないんだからスケジュールなんてたてなくてよくない??とか思っている人間だったので、圧倒的にディレクターという仕事が向いてないと入社1ヶ月くらいで絶望しました。

ディレクターという仕事に対してなにも知らず、みんなと協力してサイトリリース!最初から最後まで関われて楽しそう!程度に考えていたので、まさかまさか、こんなに管理能力が求められる仕事だとはつゆも思わず、Webディレクターを職業にしてしまいました。

いままで計画なんて立てたことがない人間がいきなり計画をたてて遅延しないようにするのは無理な話で、案の定最初の3ヶ月くらいは案件を一気に3件くらい炎上させてました(しんどかった…)

プロジェクト進行がうまくいかないたびに、上司と面談して、めちゃめちゃ怒られるものなら「はい、やっぱ無理です、ディレクターなんて自分には全く向いてませんでした」とすぐにでもやめてやろうかと思ったら、上司は怒りもせず原因と対応策を淡々と一緒に考えてくれる人で(いい上司)やめるにやめられず、管理の仕事向いてなさすぎる、そもそもなんでこの会社は私に内定をだしたんだ!とあらぬ方向に心の中で怒りをぶつけながら半年くらいたってました。

すると驚くべきことに人間の適応能力というものはすさまじく、自分には不可能に思えていた管理スキルも、様々なプロジェクトを抱え、自分とは真反対のとても丁寧な仕事をする上司(さっきの人とは別の人)のもとで学んでいくうちに、意外と不可能ではないなと思えるようになってました。(人間ってすごい、あと私の周りの人たちもいい人たちに恵まれた)

なんやかんやで、ディレクター(上に上司がいる状態)からPM(自分がプロジェクトの最高責任者)の案件を行うことも多くなり、最近のいくつかの案件は自分の下にも人がつくようになったりしました。
そんなこんなで私も成長してきたようで、自分が望んでいた「こんな感じの仕事できたらいいなぁ」という仕事をいまの仕事で実現できるような方法がおぼろげに見え始めたので書いておこうと思いました!気持ちはナマモノなのでね、これ書こうと思って寝かせておくとあっという間に3ヶ月、そのときの気持ちなんて思い出せないみたいな状況によくなってしまっているのでいまこの感覚をちゃんと書いておきます。未来への遺言みたいだな。

ふぅ、導入部分が長かったですね。おつかれさまです。

私がやりたかった仕事について

大学3年、まわりがリクルートスーツを着だしてインターンをしている雰囲気がとても苦しくて、休学して留学しました。留学して帰国後、4年になり、コロナ就活でオンライン面接がメインになり、就活生がよくある自己分析みたいのもたくさんしました。

自己分析って過去自分がなにを楽しいと感じたり、なにを大切だと思っているのか、そういう価値観を考えてみることなんですが、それをやってみると「真実」とか「本質」とかどうやらそういうものにわたしは惹かれるようでした。

①本質的なこと


大学に入って哲学に興味をもったのも、いままでの当たり前だと思われていたことからそれを疑って一歩自分で考えてみたりすることって良いなって思ったからだったりしました。
私はいわゆる「頭の回転が早い」と呼ばれる人では全然なくて、あぁ一生”頭が良い人”にはなれなさそうだと小さい絶望を感じたこともありましたが、哲学の先生がリアクションペーパー(授業後に配る感想シートみたいなやつ)を提出するのが遅くて授業が終わる前にいつも提出できないと悩む子に対して、「何事も早いことがいいわけではない、飲み込みが早いというのはその時、その時代にあって賢く生きていけるという点ではよいが、疑問を抱かず受け入れていると新しいものは作れない。疑問をもつということは、しっかり自分で考えて、新しい考えを生み出せることができる。だから遅くてもよいからじっくり考えなさい」というニュアンスのことを言ってて(もしかしたら違うかもだけど)、ゆっくり物事についてちゃんと考えることを肯定されたような気がしてとても居心地がよかったことを覚えています。

あと、友人関係でも体裁を考えたり、表面的な友人関係をもつことに一切の価値を置いていないので、自分の友達と思いっきり遊んだり、素敵なカフェに行って素敵な時間を共有したり、そういう嘘がない時間が大好きなんです。逆に、世間や一般論を気にした会話は心底時間の無駄だと思ってしまうし、まったく興味をひかれない。(とはいいつつも、私は意外と世間や一般論で考えてしまったりするのでそんな自分に葛藤を覚えるんですが…)

まあとにかく、私はやっぱり、そういう嘘のない、真実とか本当のこととか、本質的なことにとても価値を感じていて、それを考えて自分なりの世界の真実とか本質とかに気づいてしまったときに心がどうしようもなく高鳴ってしまうんです。たとえそれが、雑草一本のような普段生活していて誰も気にもとめないようなものであっても。

なので、いまの会社に入社したときも、うちの会社は一言を書いてボードにはられるのですが、その一言は本質を追究した仕事をする、とかにしました。(一言一句あってるかは分からないけど、ニュアンスそんな感じ)

と書いたものの、Webディレクターとして本質を追究した仕事をする、というのは私の中では結構難しくて、というのもWebディレクターは多様なスキルが複合的に求められるので、なにかにこだわったりするとバランスが悪くなるのです。バランスが悪くなると、総合評価が下がります。Webディレクターはプロジェクトの最初から最後までが責任範囲なので、総合力が求められます。だから、なにを本質とするか、どこにこだわればいいのか、本質を追究した仕事をしたいのは山々だけれど、どうやって本質を見つければいいのか、どう追究すればいいのかがわからない状況が続いていました。

そして、それが最近ちょっとだけ、本当にちょっとだけですが、うっすら見えてきたような気がするんです。

私が受け持つWeb制作の仕事では、情報設計(要件定義)→デザイン→実装という流れでサイト制作を進んでいきます。
案件にもよりますが、ディレクターは情報設計(要件定義)の部分を行うことが多いです。情報設計(要件定義)はどんなページが必要なのか、どのページにどのような要素があって、導線はどこに設定するのかというような家を建てるときの、骨組みにあたるのでとても重要です。
骨組みが適切に設計されていなければ、せっかく素敵なデザインでかっこいいモーションを使ったスタイリッシュなサイトになっても届くべき人に届きません。

このプロジェクトの初期段階で、誰が見るサイトなのか?クライアントの強みはなんなのか?をしっかりすり合わせてから情報設計にはいることで、骨子が適切に、強いものになります。
そしてクライアントがAという要望を言っているが、そのクライアントの本当にやりたいことはなにか?なぜそれを思っているのか?声にしていない部分を見つけていくことがWebディレクターとして、本質的な仕事をする上で一歩重要な部分ではないかな、と最近思っています。
私はいい意味でも悪い意味でもクライアントの要望を聞きすぎる、と周りから言われますが、クライアントの要望をすべて聞いているというよりは本当の声を聞こうとしているのが要望を聞きすぎると第三者からはみられてしまっているのかも(と書いてて思いました)

②感動を生み出すこと

あともう一つ。抽象的ですが、私はやっぱり人を感動させる仕事がしたいです。人を感動させる、というと大げさかもしれないですが、人の心をちょっとでも動かす、というイメージです。
感動を与える仕事という言葉で思いつくのは、やっぱり映画とか音楽とかアミューズメントパークとかのエンターテインメント系が強く思い浮かびます。他にも広告とか、PRとか、イベント会社とか、表現に重きを置いているも感動、とか人の心を動かす、とかと結びつきやすいです。
一方、Webディレクターという仕事は感動させる仕事には結び付きづらいというのがいままで仕事をやってきた肌感覚です。

ディレクターの評価基準はプロジェクトが安定しているかどうか、遅延させたらダメだし、遅延したら公開に影響がないように調整することがディレクターの仕事。当たり前の基準を保つことが使命であるディレクターはマイナスをゼロに戻すことはしても、進行管理をすることで、ゼロを10,50に上げるというのはかなり難しいと感じました。(いまの1年半の経験では)

感動というと、先程書いたエンタメ業界がもたらす感動のようなドラマティックで劇的な人の心を揺さぶるような強い波のイメージがあったので、安定した進行管理が至上命題のディレクターにとって人を感動させる仕事をするのは無縁なように思っていました。

ですが、本質的なことを追い求めていくうちに、誰も気づかないような真実に気づいてしまうトキメキを仕事でしっかり発揮することができればこのトキメキは伝播してクライアントやプロジェクトメンバーの心を動かすようなプロジェクトができるのでは?という仮説がさっき伝えた、自分がやりたかった仕事といまの仕事で少しだけリンクしたところです。

就活のときによく見たwill can mustのベン図のcan(できること)が増えるとwill(自分のやりたいこと)が増えてくるという話が結構近くて、

特に、進行管理なんていままでの人生でやってきてなかったことなので、仕事でやらなきゃいけないこと、それと向き合っていく中でできることが増えていくと、いままでの自分では考えなかったwillが見つかるかもしれない。

ちょっと話はそれちゃったけど、この本質を求めて、感動を生み出すようなプロジェクトのディレクターになりたい。

これが、1年半でみえてきたことです。

何事も3年やるとある程度なにか見えてくるというのが私の持論で、柔道もちょうど3年くらいで日々の練習でいきなり、感覚がつかめるようになった技もありました。

次の1年半もディレクターという仕事をやれているかは分からないけど、もしもう1年半ディレクターをやっていたら、そのときはどんな景色がみえているんでしょうか。
とりあえず、経過報告として、ここまで。

日々の成長は見えづらいけど、 振り返った時にはちゃんと見える世界が変わってるから、毎日精一杯生きていきます。

今日会ったinspireされたことば
Success is a products of daily habits - not once-in-a-lifetime transformation.
 成功は人生に一度の変革によってではなく、習慣によってできるものだ。


天職は出会うというよりも見つけ出す感覚に近いと思う。
自分が向いていないと思ったことでも、向き合っていけば、自分にしか出せないオリジナルの要素が見つかってき、それを捨てずに磨いていくことで天職にしていくようなプロセスの感覚の中にいまいる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?