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【読書記録】クジラアタマの王様/伊坂幸太郎

久々に伊坂幸太郎の本を読めた。

クジラアタマの王様は、ハードカバーの時から見かけてはいたけど、タイミングがあまり合わなくて当時は買えず、父が買ってきた文庫本を見つけて貸してもらった。

伊坂幸太郎は高校生くらいから好きになって読んでいたけど、最近の本はなんとなく自分の歯車と合わなくなってきていて、もちろん新刊が出たら読みたいと思うんだけど、すぐに手が出せないでいる最近だった。

先日、東京と仙台を結ぶ東北新幹線を舞台にしたマリアビートルという小説がブラピ主演でハリウッド化された映画を公開初日で見に行った。

ハリウッドっぽいド派手なアクションとハリウッド流のめちゃめちゃデフォルメされたJapanだったけど、意外と登場人物とか物語の流れとかは変わっていなくておもしろかった。

映画を見に行く前に前情報を調べていたら、ブラピと伊坂幸太郎の対談が出てきて、ブラピが伊坂幸太郎に対して「プロットがいいからおもしろくなる」と言っていて、私もまるでその場にいるかのようにそうそう!そうなんだよ!と記事を読みながらブラピに相槌を打っていた。

伊坂作品で私が一番好きなのは、「砂漠」と「アヒルと鴨のコインロッカー」なんだけど、「マリアビートル」はそれに次ぐくらいすき。あぁでもエンターテイメントとしては1番好きな作品かもしれない。砂漠とアヒルと鴨はエンタメという感じではないから。

で、ハリウッド映画「Bullet train」として生まれ変わった「マリアビートル」を映画館で見ると、私の好きな伊坂幸太郎がまた可能性を突き破ったぞ!!というくらい新しい面を見れて心の中でうぉぉぉっと盛り上がった。

この映画を見たのが、西宮の映画館だったんだけど、横浜の実家に帰ってきたタイミングでちょうど「クジラアタマの王様」を見つけた。

そして読み終わったのが昨日。
感想としては、不思議な感覚だった。あとがきまでよんで、「RPGと日常を掛け合わせた小説」とまとめられていて、あぁたしかにまとまるとそうだなって思った。

伊坂作品は圧倒的な主人公が1人いるよりも、登場人物いろんな人が主人公みたいな作品が多くて、今回も一応その人の視点で物語は進んでいくけど、その人のまわりに主要キャラ2人がいる。

主人公含めた3人が夢の中で戦った勝敗が現実の出来事にも影響する、という話だ。夢で負ければ現実の出来事も悪い方向にすすみ、勝てばいい方向に進む。クライマックスでは夢と現実の感覚があいまいになっていく。

という話を読み終えたが、夢はフィクションだとしても日常はあまりに日常で、主人公はメーカーの苦情窓口のサラリーマンだし、私が乗っている通勤電車にもいそうなごく普通の人間だった。

今日、仕事を終えたのが22時。今日はとても忙しくて、休憩をとれる暇もないままこんな時間になってしまった。オフィスから出て、電車の一番端の席に座って手すりに頭をのせながらぼーっと目の前を見ていると、目の前の乗客と窓がゆらいで、急に夢の世界に引き込まれていく感じがした。寝てるわけじゃなくて、しっかり意識はあって目の前のものが見えているのにリアルじゃない場所に引っ張られるような、まるでRPGのようなそんな感覚がした。

ハッとして手すりから頭を起こすと、普通の車両で、座っていた。そのとき、以前伊坂幸太郎がどこかで言っていた「小説は溶けて消えていくんだ」という言葉をふと思い出した。

クジラアタマの王様は、とてつもない爽快感とかどんでん返し感がある作品ではない分、読み終わったあともふぅ、読み終わったぜくらいの感想しか生まれなかったけど、食べたものが自分の血液となり、肉となるように、読んだものも血液となり肉になるくらい染みていく感覚を今日改めて思い知った。

なにかを受けてどういう感想を持とうと、自分の中に取り込んだものはどういう形か自分が自覚しづらくとも多かれ少なかれ取り込まれているのだ。

血肉になる、という話をもう少し深く話すと、私が電車の中で夢の中にいて戦っているような感覚になったとき、私の血液には空気のようなあぶくがちょっとだけ流れている感覚だった。
もちろん普通に帰宅していて、血液の中に空気が入ることはないので比喩なのだが、あぶくが流れているようだった。そのあぶくは余白ともいえるし、なにか余裕のようなものでもあった。

今日は本当に大変な一日だった。今日どころか先週から仕事量がすごく多くなっているし、来週くらいも仕事がたくさんあるだろうなぁと8つに連なっている山の1つ目の頂上も見えていない感覚でかなり心が各方面から圧力をかけられている。

そんな状況で、疲れすぎて白昼夢のようなものを見たのかもしれないし(夜だから白昼夢じゃないけど)、だけど疲れすぎているだけというよりはやっぱりクジラアタマの王様を読んだからこんな不思議な感覚になったのではないかと思う。

小説はいつも私の逃げ場だった。小学生の時も学校で辛いことがあるといつも図書館で本をよんでいた。本を読んでいるときは本の世界を冒険できて、旅ができて、主人公と一緒に成長できる。


私と同じくらい社会の荒波に揉まれている長野アナウンサーの友達も少し前仕事が大変なときに、ずっと小説を読んでいると言っていた。その時小説よりも業務インプットメインのビジネス書全般を読んでいた私は、小説を読んでることに対してへぇとしか思わなかったけど、いま仕事がとても忙しくて日常に余白がなくなってしまったときほどに自分の身体が砂漠で水分を欲しているように小説を欲している。

そういえば、別のとても仕事が忙しい友達も小説をよんでいた。2人とも元々読む方かもしれないけど、でもいま自分が生きている日常が大変になったときこそ小説はその力を発揮するのだと思う。

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