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聖地には蜘蛛が巣を張るを見た話

概要・あらすじ

映画公式サイト

鑑賞記録

2023/4/19(水) TOHOシネマズシャンテ スクリーン1 18:55~21:05

内容雑感(まとまってない、ネタバレあり)

①悪意より正義感の方がいともたやすく人を害すよなあ、という話

・連続殺人の犯人であるサイードは自らの信仰している宗教の立場から娼婦たちを排除することを良いことだと考えて行動しているが、彼女ら(劇中には出ていないが現実にはおそらく男娼もいるだろう)がなぜ娼婦になったのか、などは一切考えない。聖地に蔓延る「悪」だから排除している。殺人を重ねることで殺すこと自体に快楽を見出していった可能性はあるが、悪を排除しているという大義名分は持っている。

・「神の意にかなったことをしている」というのは敬虔な(歪んでもいる)信徒にとってはある意味快楽的だろう。十字軍なんてまったくわかりやすい例である(十字軍は単純な正義感だけで動かされているわけではないにしても)。取るに足らない神の子羊である自分が宗教的使命を帯びて行動するなんて、特別な存在にでもなった気分を味わえる。

②行動原理が正義感だったとしてもやっぱりミソジニーじゃないか、という話

・①で書いたようにサイードは正義感で動いているが、それって(自分より体の力が弱いであろう)女性以外には向かないんじゃないの、という話。筋肉モリモリマッチョマンの変態が目の前で自分の価値観から見て不道徳なことをしていた時に行動できただろうか(いやできないだろう)。誰に対しても同じ態度で臨めないならそれはもう破綻した正義だ。

・公式サイトでイランでは政治や宗教以前に文化としてミソジニーがある、という監督の話だが、悲しいかなそれはどこの国や社会にも多かれ少なかれあるなあ、と思う。
単にイランのような厳格な宗教国家ではそれが宗教や政治によって補完され目に見える形で顕れているだけで、日本でも蔓延っている。

・ファテメ(サイードの奥さん)は「悪しき女を排除した」夫を称揚しているが、この図式って非常に醜悪だ。男性に一方的に決められた良い女性、悪い女性という図式に乗っかって、自分は良い女性だから大丈夫ということで悪い女性を叩いている。アパルトヘイトの名誉白人的な醜悪さ。
でも、これがファテメの本心なのかは正直わからない。そうやって理由をつけたり納得できる落としどころを見出さないと自分の愛する家族が連続殺人犯であることに気持ちが押しつぶされてしまうのかもしれない。

・アリ(サイードの息子)は同級生に「お前の親父は人殺し」といわれたことで通学をやめたという。起きている事象は好ましくない(サイードとアリは別人格だし、親のしたことに子が責任を持つ必要はない)が、近所の大人たち(八百屋のおじさんは野菜の代金を受け取らなかった)とは対照的に、子どもたちの間ではサイードのしたことはあまり好意的に受け止められていない(ただからかいのネタとして使われているだけかもしれない)か、その子の親が家でサイードのしたことを非難しているのを聞いたのかもしれない。いずれにしてもみんながみんなサイードを肯定しているわけではないようだ。

③なんで検事は「死刑は実際には執行しない」とウソをついたのか、という話

・裁判を担当した検事さんとサイードの知り合いのおじさん(名前忘れた)が牢屋のサイードの房にやってきて「裁判ではすまんかった、死刑は実際にはやらずに釈放だ」みたいなやり取りをするシーン。
観客は非常に失望しただろう、この社会はどこまで腐ってんだ、と思わずにいられないシーンだ。
果たして当日、死刑と一緒に宣告された鞭打ち100回が実行されていないことを主人公ラヒミが咎めると別室で行われることになるが、実際にはフリだけで執行人もサイードもへらへらしている。観客はもはや死刑が執行されるなどとは到底思わないだろう。
ただ、最後までご覧になった方は当然ご存じだろうが結局死刑は執行される。この処置が何なのかよくわからない。
個人的に、サイードが世間に向けて訴えかけるようなことをされると面倒なので油断させるためにやったんじゃないか、という理由を考えてみた。
一部の層にはヒーローである彼が死刑執行を避けるために家族やメディアを通じて世間を煽ると面倒なので、死刑は執行しない、というウソをつくことでそういった行動をしないようにさせる作戦なんじゃないかと。
でも鞭打ちは当日なのだし別にやってもいいだろうけど、観客を欺くための演出上の高等テクニックなのか。
パンフレットなどどこかの資料に書いてあったら誰か教えてください。




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