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Like a『春色』バトルフィールド ♯11

♂♀
 
 交際の報告をしたのは吉原さんと坂上さんと白井さんだけで、ほかのサークル員には報告をしなかった。特に意識をしていたつもりではなかったが、話す人選んでるんだね、と潤さんに言われたとき何故かドキッとした。選んでいたのだろうか。だとしたら、どういう基準で?


 報告をした時、白井さんは手放しで喜んでくれた。坂上さんは言葉を失ったあと、はぁーそうくるか、とどこか含みのあることを言った。どういう意味だったんだろうとしばらく気になったが、潤さん曰く、坂上は余裕ぶりたいところがあるからね、だそうだ。

 吉原さんは、ほとんどリアクションをしなかった。実は僕潤さんと付き合うことになったんです、と伝えると彼女は僕の顔をチラッと見て、気まぐれに覚え始めた将棋のルールブックに目を戻した。

 無視された?

 どうしていいかわからずにいると、ここ意味わかんないんだけどどう言う意味?とルールブックを見せてきた。『ビショップには三点の価値がある』と書いてあった。何で将棋のルールブックにチェスのビショップ?

 とりあえず話を合わせようと口を開いた時、滅多に部室にこない二年生何人かが入って来た。彼らが旅行雑誌を広げこの夏の計画を始めたことで賑やかになっていって、交際に関する話の続きはその雰囲気に紛れて消えてしまった。

 消化不良甚だしく、吉原さんとの間にはわだかまりのようなものが残ってしまった。何となく、吉原さんへの報告は穏やかにはすまない気がしていたからだ。 
 


「気にしなくていいんじゃない?」

 潤さんがパプリカを切りながら背中越しに言った。今日は何を作っているのだろう。

「何か含みがある気がするんですよね」

 テレビをつけていてもほとんど集中することができない。ベッドに腰掛けて組んでいた足が痺れていたのと、潤さんの今日の献立が気になるのと、心にモヤがかかっていたせいだった。

「吉原ちゃんはねぇ気分屋だから」

 切った野菜を手鍋に流し入れ、何かの缶詰を開ける音がした。あれだけ手慣れた様子で料理をしているのに何でいつも仕上がりがおかしくなるんだろう。

 潤さんは鍋に蓋をした後冷蔵庫から発泡酒を二缶持ってきて、はい乾杯、と僕に片方渡すやいなや角度をつけてぐいっと飲んだ。

 これだよねぇ、と目を瞑って美味しそうにしている潤さんの表情に、僕はどこかおかしいところがないか探ろうとした。しかし特に何も見つけることができず、諦めて缶を開けて一口飲んだ。

 見慣れたワンルームも、自分以外の人がいるだけで雰囲気が違う。潤さんがキッチンに立つ姿も大分見慣れたが、ふとした瞬間にむず痒くなるような瞬間がある。潤さんが今着ているボーダーのTシャツは最近タンスの中で見かけなかった僕の寝巻きだ。

 雨戸の外に目を移すととっくに緑色になった桜の木が見え、湿気をはらんだ暖かい風が流れ込んできた。予報によると梅雨明けはまだだが、今夜はまだ雨が降っていない。今年の梅雨は長かったが、終わっていくだろうという確かな気配もある。季節が変わって、人間関係が変わる。

「ねぇ比呂」

 はい、と振り向くと潤さんが覆いかぶさるように抱きついてきた。手を首に回され体重を預けられる。柔らかい腕が暖かい。

「謝りたいことがあるんだけど」

「謝りたいこと?」

 そして頬ずりをされた。汗ばんだ肌が冷たく、しかしその奥には確かな体温の予感があった。

 きっと誰もが暖かいんだろう。吉原さんも坂上さんも白井さんも市村も。こうしているだけでわかることもある。

 しかしそんな幸福なコミュニケーションの陰に、寂しさが隠れているのも事実だった。

 換気扇の音がやけにうるさい。しばらく経ち、潤さんは体を離した。

「失敗しちゃった」

「またですか?」

 恋人のスキンシップと言うには、簡潔過ぎるやりとりなのかもしれない。しかしこれが僕らの普通だった。降り出した雨がポツポツとベランダを寂しげに叩く音が聞こえる。

 何作ろうとしたんですか。ラタトゥーユだよ。またそうやってよく知らないものを。だってオシャレじゃんか。僕も潤さんも笑いながら会話しているのに、雨音は嫌味なほどうるさくなっていく。

 僕はね停滞したくないのよチャレンジして行きたいの。そもそもの実力が足りないのに?あーひどい言わなければ幸せなのに!そんな事言って自分の料理にあとで文句つけるの潤さんじゃないですか。

 僕は潤さんを引き剥がして立ち上がり窓を閉めた。後ろからはなおも子供っぽい潤さんの言い訳が聞こえる。

 お互いの会話はある部分に触れないよう慎重に運ばれていた。そのことを、僕も潤さんもわかっていた。 

 付き合ってしばらく経つ。しかし、僕らはまだ、一回もまともにセックスができていない。

 閉め切った部屋の中を、トマトソースの焦げた匂いが満たしていた。

 ♂♀

「一人でばっかりしてるからじゃないの?」

「そんなことないですよ」

「週一回?休み」

「そんなにしませんよ。休む回数で聞きますか普通? 」

「何見てするの?」  

「坂上さんはどうしてますか?」

 完全にセクハラになった白井さんの発言は無視して話を振ると、ソファに深く座っていた坂上さんが雑誌から視線だけ外してこちらを見た。

「どうって?」

「うまくできない時とか、どうしてますか?」

「うまくできない時がないからなぁ」

 キャー男前ーとうるさくしながら白井さんはパタパタと小走りで部室の冷蔵庫に向かった。   

「できないってんなら、緊張とかそういう、精神的なもんじゃないの?EDでもないんだろ?」坂上さんは雑誌を閉じてソファの脇に置いた。

「んー少なくとも身体の面では違いますね。それに最近一緒にいるし、緊張とかではない気がするんですが」

「そうは言っても緊張するもんなのよ、それが恋でしょ?はい、サイダーどうぞ」

「ありがとう白井」坂上さんが受けとった缶には焼酎ハイと書かれている。

「ちょっと!酒じゃないですか、何やってんすか」

「比呂君もはい」白井さんから手渡された缶はよく冷えていて、冷房の効きが悪い部室で渇いていた喉が反応した。

「いらないですって、やばいですよこれ」

「そりゃ校則に『構内飲酒厳禁』って書かれてたらやばいけど?読んだことないくせに何言ってんのよ」カシュッと鳴って開いた缶から、爽やかなアルコールの匂いが舞った。はぁ死んでもいい、とその匂いを嗅ぎながら白井さんが漏らした。

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