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彷徨いし空白

🌑

死を迎えた魂はどこへ向かうのか。それは誰にもわからないが、物語が続く以上、僕によって肉体を奪われた君は再び目覚めることになる。

🌒

「目を覚ますとそこは雲の上だった」とでもやれば文学的だろうし、「目を覚ますとそこは四畳半が続く場所だった」とやれば小説的でもあろう。しかし現実はただの漂白された空間でしかない。死後の世界などそんなものである。過度な表現が入り込む余地などないのだ。ともあれ。君はその真っ白な空間に居た。

手足と体を確認する。手近に鏡がないので顔までは確認できない。が、何となく生前と同じ姿形をしているような気がする。ひとしきり、自分自身を確認した君は、ぐるりと辺りを見回した。真っ白な空間が果てしなく広がっているだけで、建物や草木もなく自分以外は誰もいない。しばらくぼんやりとしていたが、何か変化があるでもなし。どうしたものかと思案した君は、足があるなら歩けるだろうと立ち上がってみる。問題ない。一歩踏み出してみる。問題ない。数歩だけ歩いてみる。問題ない。そのまま君は歩き出す。特に行く宛があるわけではないが、死後の散歩も悪くないなと歩みを続けた。

真っ直ぐなのか斜めなのか。登っているのか下っているのか。もう随分長いこと歩いたのか。数秒しか歩いてないのか。全くわからない。ただ歩いているという感覚はあるので、それに任せて進む。時間の感覚もなく景色も白一色。少しも面白くないなと思った時、突然数歩先に人影が現れた。人影である。そう表現するしかない。まさに人の形をした漆黒の影だけが目の前にある。いや。居る。そして胸の辺りには木札がぶら下がり、何か文字らしきものが。目を凝らして見るとそこには「憎悪」と書かれている。

君は思う。ははん。そうか。こうして生前のネガティブな思考を見せることで、何かを試しているのだなと。しかし、人影に変化はない。言葉を発するでもなく幻影を見せるでもなく、ただそこに居るだけだ。君はどうしていいかわからずに木札の憎悪と向き合う。すると忘れていた感情が蘇る。そうだ。僕のせいで自分はこの場所にいる。このやり場の無い怒りこそまさしく憎悪ではないのか。君は僕に対する憎悪で黒く染まる。目の前にいる人影と同じように黒く黒く。

そして君は意識を失った。

🌓

目を覚ますとそこは真っ白な場所だった。手足と体を確認する。手近に鏡がないので顔までは確認できない。が、生前と同じ姿形をしている。なぜかその確信がある。立ち上がりぐるりと辺りを見回した。特に方向を定めたわけでもないが、そうすることがさも当然のように君は歩き始めた。

真っ直ぐなのか登っているのか長いこと歩いたのか。ただ歩いた感覚だけはある。そして変わらぬ景色を見飽きた頃、人影が現れた。まさに人の形をした漆黒。その胸には木札。木札には「後悔」と書かれている。

君は思う。ははん。そうか。こうしてネガティブな思考を見せることで、何かを悟らせようとしているなと。しかし、人影に変化はない。ただそこに居るだけ。君はどうしていいかわからず木札の後悔と向き合う。すると忘れていた感情が蘇ってくる。僕のせいで自分はこの場所に閉じ込められている。あの時、僕を読まなければこんなことにはならなかった。このいたたまれない無力感こそまさしく後悔ではないのか。君は僕に対する後悔で黒く染まる。目の前にいる人影と同じように黒く黒く。

そして君は意識を失った。

🌔

君はありとあらゆるネガティブを繰り返すこと※※回。いまやその身体は漆黒に染まっている。

目を覚ますとそこは大きな扉の前だった。手足と体を確認する。闇のように真っ黒だ。もはや人と判別できないほどに濃く深い。手近に鏡がないので顔までは確認できないが、恐らく顔もまた闇色をしているのだろう。立ち上がり扉の方を向く。扉は閉まったまま。奇妙に捻くれた図形が描かれている。読解不能な文字らしきものも書かれている。一体、その扉が何なのか。どこへ通じているのか。まるで想像もつかないが、何ができるでもない君はただその前に立ち尽くした。

どれほどの時間が経ったのか。依然として扉に変化はなく、その前には漆黒の人影が佇むのみ。しかしよく見れば人影の方に変化が表れていた。胸に木札。目を凝らせばそこには「無碍」の文字がある。すると扉の図形が光を放ち、文字はその音を解放し言葉となってゆく。ゆっくりと扉が開きはじめ、その隙間から漏れる光が君の漆黒を削る。光は濃く闇は薄まり。そして人としての姿形を取り戻した君は、扉の中に吸い込まれ消滅した。

🌕

静寂。

扉は消えた。彷徨いし魂は一体どこへ。いや向かう先は決まっている。君は僕の元へ行くしかないのだから。さりとて肉体は一つ。君か僕か。

しかして振り出しに戻る。

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