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「認知症⁈ 全然大丈夫、全部O.K.、 ケセラセラ♪」1

認知症の人と家族の会
福岡県支部会報「たんぽぽ」2021年10月号 寄稿エッセイ①
 

プロローグ

現在私は、アルツハイマー型認知症、要介護5、90歳の母の在宅介護をしています。母の認知症が発覚してからの数年間は、怒る、否定する、罵声を浴びせる、口答えする母と壮絶なバトルを繰り返す等、認知症患者に対してはあるまじき行為をしては自己嫌悪に陥ったり、ぶつけようのない憤りに七転八倒しながら介護を続けてきました。

しかし今では、悟りを開いた仏様のごとく(嘘です。笑)介護させていただく機会を私に与えてもらったことを心の底から感謝しています。そして、一緒にご飯を食べたり、テレビ見たり、平日は、母はデイ私は仕事や家事と平穏で幸せな日常を送らせてもらっています。たまには車椅子押しながら、旅行(海外も!です)に行くなど、今となっては何をそんなに苦しんでいたのか忘れている位です。

どちらかと言うと、認知症は大変とか辛いとかネガティブなイメージや情報の方が多い気がしますが、認知症介護のおかげで得られた貴重な学びや気づき、プラスの面も沢山有り、それらを紹介させて頂ければと思います。

 
第1章 認知症発覚

母と私は仲良し親子、親孝行の娘という風に見られているようですが、母が認知症になるまでは、その真逆でした。

厳格な教育者の両親の元、五人姉弟の四女として育てられた私は、その両親から逃れる唯一の手段としての結婚を画策しましたが、他の姉弟が結婚し次々と家から出ていく中、結局私一人が残ってしまいました。抑圧されたこども時代を送っていたので、両親とは気安く話をする感じはなく、話をするのは必要最低限、親のことなど我関せず、という大人になっても反抗期が続いている状態でした。

そんな中、父が胸部大動瘤破裂で急逝。おしどり夫婦で何でも一緒に楽しんでいた最愛の夫を突如亡くした母は、その後私への依存が強くなっていきました。しかし、私の母への対応はビジネスライク、鬱陶しさも感じていました。

そんな二人暮らしが10年になる、2009年「青天の霹靂」がやってきます。認知症の発覚です。(つづく)

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