結局生きていくしかないわけじゃん

どうも、でーさんです。

残暑まだまだ、いやもう終わりですという今日この頃とでもいいましょうか。長らくnote放置してましたが、今回は趣向をちょっと変えて、いかにも需要なさそうな僕の人生観みたいなものを書いていければ良いかなと思います。あまりにも長くならないようにするつもりですが、こういう時は得てして長くなるのがでーさんです。ごめんなさい。

早速前置きが長くなりましたが、では始めましょう。

※少々刺激が強いかもしれませんので、自分でメンタルの耐性ないなとわかってる人は回れ右して読まないでください。責任は持ちません。

まず、僕という人間について。平たく言うと障害者です。発達です。手帳持ちです。でも、普通に生きてます。順風満帆では決してありませんでしたが、今は比較的安定している方です。

子供の頃から毎日ゴミ箱さんこんにちは、というくらいの不思議ちゃんでしたから、当然周りからは異質な目で見られてたわけですよね。当時、僕自身違和感を感じたことはありませんでしたが、今から思えば如何にも、という感覚です。

で、勉強も可もなく不可もなくって感じでしたかね。通知表は4が殆どで、後は2とか3とか。5は一度も取ってないので、間違いなく優秀ではなかったです。まぁ基本的に興味あること以外は殆ど続かない性質なため、凹凸が目立つのはある意味当然ではありました。

ただ、当時はいじめにあっていたわけでもなく、それなりに友達もいて、ちょっと人とは違うけど個性の範疇かなと思われていたのか、特に僕を異端扱いしてくる人は殆どいませんでした。なので、僕が息苦しさを感じることもありませんでした。

その潮目が変わり始めたのは中学生くらいの時からかな。突然言葉の発生がうまくいかずコミュニケーションに困難が生じ始めました。所謂吃音という奴です。結論から言えばこの吃音は30歳まで続きました。今はだいぶ治りましたが、それでも偶にあります。

まぁそんなこんなで息苦しさを抱えて生きていくと、当然ストレスは溜まるわけですよね。だから、僕は塾サボって家出したり、テスト受けなかったりとありとあらゆる反逆行為を繰り返しました。ストレス発散の持って行きどころが明らかにおかしかったので、僕自身まともな人間ではなかったです。 

で、そんな状態を両親は間近で見てきたわけですから、当然心配してその頃からありとあらゆる病院に連れて行かれました。ただ、診断はうーん、特に異常無いですし、ちょっと精神的に打たれ弱いだけじゃないですかねぇって言われて終わるのが殆どでした。だから、僕なんかは何やっても結果変わらんねんから早よ切り上げて帰ってゲームしたい、友達とサッカーしたいとしか思いませんでした。親に心配かけといて、この思考はないやろとは今になっては思いますが。

で、その後はどうなったんですか?という話ですね。結論から言えば、高校中退しました。え?なんで?っていう疑問は当然ありますよね。

早い話が息苦しさMAXの状態で、文化祭ブッチしたのが決定打になって、そっから行きにくくなって気が付いたら出席日数足りないから貴方卒業できませんよって言われました。当たり前。ただ高卒認定の資格はあったので、大学受験はできたわけです。まぁそれでもサボり癖が抜けきらず四流大に2年かけてようやく入れるという失態を犯したため、親には申し訳なかったなぁと今になっても思いますが。

ただまぁ大学は自分の好きな時に好きな授業受けられるので、当時昼夜逆転してた自分の生活リズムでも、ある程度順応することができてました。若かったからね。今は無理。ただ、この生活リズムで将来社会人は無理やろなって思ったので、大学3年の時にコンビニの早朝アルバイトを始めてリズムを整えました。結果、遅刻魔だった自分が大学卒業してから今まで寝坊は一度もしてません。アニメとかサッカーの片手間の勉強程度で好成績が取れて授業料が一部免除になったのは、せめてもの罪滅ぼしかもしれませんが。

じゃあ、ある程度生活はマシになったんやねと思いきや、上述したように吃音は相変わらずなわけです。就活とかどうなると思います?面接とかヤバいですよ。ただでさえ緊張するのに、吃音でしょうよ。自己分析とか志望動機とか自己PRとかガクチカとか、全て風前の灯と化すわけです。そりゃそうですよね、喋れなくて何言ってるかわかんないんだから。筆記試験とか適性検査は通過しても面接は一次で撃沈です。就職課の先生と練習したけど、先生もお手上げ状態で、進退窮まるとはこのことかーって思い知らされたわけですね。

ただまぁ諦めが悪いのが取り柄なのかどうか知りませんが、そんな僕でも幾つか就職することができました。ただねぇ…「いくつか」なんですよ。いくつかってことは、言い方変えれば職転々としていたわけです。まぁ不思議ちゃんに吃音にコミュ障重なったら流石にキツい。現実長続きはしないわけです。

ただ、じゃあ今はどうか?安定してます。吃音もほぼほぼ無くなりました。不思議ちゃんも無くなりました。コミュ障も仕事上ではマシになりました。正社員の仕事辞めてから手帳貰って訓練受けて契約社員に漕ぎ着いて経験積んで、今年4月に新しい職場で働き始めました。今は契約社員の身ですが、正社員登用の道も見えてきています。こんなところですかね。長くなりました、スミマセン。

…とここまで長々と書いてきたわけですが、要するに貴方何言いたいの?って話ですよね。僕はこういう半生を送ってきたので、非常に辛かったですと言いたいわけではありません。また、同じような境遇の方々に俺が頑張れたんだから貴方達も大丈夫だよと無責任なことを言うつもりもありません。

言いたいのは、結局なんだかんだ言いつつ現状そんなうまくいかないけどやっていくしかないよねー、ってことなんです。頑張れとはまた違います。ダメさ加減を許容する必要があります。結局のところ、建前をどう綺麗に繕ったところでダメな奴はダメな奴です。

でもさ、人間としてのプライドはあるよな?大人としての意地はあるよな?生物における最低限の反骨心くらいは失ってないよな??なら、道は自分で作らないといけないはず。そういう精神で僕は日常生活を送ってます。

それでも辛いしんどいもうダメだ?

うん、そんな時もある。そんな時もあるだけだ。その期間が短かろうが長かろうがそんなものは「欲しがりません勝つまでは」の期間限定でしかないわけだ。それができるか否かは自分次第だ。自分次第じゃなくても自分次第だと思え。それが世の中だ。じゃないと生きていけない。俺は健常者じゃないから尚更だ。

説教臭くなりましたね、すみません。ただ、僕が言いたいことは一つ。どうにかこうにか繕ってでもやっていくしかない。不出来だとわかってるなら尚更形には拘らない。泥臭くてもやり抜く。そういう精神は重要だと思います。単なる精神論です。でも精神論も馬鹿にはできません。

この文章を読んでいただいた方が少しでも生きる希望に…とかは正直そんな興味ありません。何様だと言われるかもしれませんが、僕は僕の言いたいことを書いたまでです。でも、僕が考えていることは間違っているでしょうか?他人から見ていや間違ってますよ、とか言われても僕自身の原動力になっているのなら、それは必ずしも間違いとは言えません。こういう都合のいい解釈ができるのもメンタル次第です。

なので、結局なんだかんだ生きていくしかないよな、って決めたのなら形には拘らないでください。形に拘っていいのはある程度健康的かつ継続的に頑張れるとか最低限のことができてから進める次のステップです。それまでは泥臭く食らいついていくべきなのです。諦めるのはいつでもできます。

では、最後に僕が好きな両津勘吉の名言を添えて、この記事を締めたいと思います。読んでいただきありがとうございました。

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