随筆 2024.8.6

セックスをしていたり、他人のセックスの話を聞いたりして思うのだが、要するにそれは子作りの儀式であるだろう。某政党の某政治家のような物言いになったが、その子作りという観点が僕にはどうも重くのし掛かるようだ。そもそも、自分の内臓を他人の内臓に入れてゴシゴシするなど、大分無理をしている。加えて怪我をしたり病気になったり、心的な面でもダメージを負う可能性があるので、大変危険に思う。もちろんそこで性的な興奮を感じたり、オキシトシンなどが出たりするのだろう。ただこのオキシトシンというホルモンは、本来産みの苦しみの際に出るもので、愛と共に苦しみのホルモンでもある。この点は無視できない。セックスだって産みの苦しみの前の、ひとつの苦しみと捉えても良いかもしれない。僕個人としては、気持ちが良い以外の感想は特にないが、なぜかセックスについて思考すると、心が重くなる。それはやはり、それがどこまでカジュアルになったとて、本質的には生物としての産みのサイクルのための行為であるからだろう。子作りの意味とはなんなのか。文化的な意味とは。なぜ僕らは男と女、一対に向かい合えば交わるのだろうか。セックスの意味とは。僕はセックスの効果や文化的側面については全く無知であるので、これは読者の皆様への問いかけとしよう。
ところで、蜉蝣という小さな虫をご存知だろうか。いや、もう誤魔化さずに言おう。「I was born」という詩をご存知だろうか。吉野弘の詩だ。読んだ方も多いだろう。僕も大人になった今、吉野弘では「祝婚歌」などの方が好きではあるが、「I was born」を初めて読んだときの衝撃に及ぶものはない。生まれること、産み落とされることの漠然とした衝撃。それが必ず受け身で表現されることへの衝撃。言葉を失うほどの驚きがそこにはある。僕らは何となくこの世にいて、父母未生以前の世界などもちろん知ることもない。今、僕は25歳だが、せいぜい四半世紀。138億年の宇宙からみれば、僕も蜉蝣もさして変わらない。そんな刹那にも似た時空のなかで、しかし尚、人は、実存をわりかしはっきり持っているようだ。僕は思う。皆、不思議ではないのか。自分が生まれたということ、産み落とされたということ、生きているということ、いつかは老い、死ぬということ。そして、ともすれば自分もまた、蜉蝣のように刹那の時空の只中に子を産み落とすということ。生き死にの繰り返されるサイクル。そこに無をみるか空をみるか、哀しみをみるか歓喜をみるかは知らない。だがそこに、壮大な何かを感じないだろうか。
蜉蝣のメスは口が退化しているのだそうだ。だから数日で死ぬ。食事もせず子を作り残す。なんて滑稽な哀しき生き物だろう。そんな蜉蝣に憐憫を思う一方、今や地球の支配者の座を恣にしている僕ら人類も、宇宙からすれば滑稽な生き物かもしれない。確かに脳も手先も進化し、口の構造で多様な発声が可能になった。集い住み、協力し文明を丸ごと進化させた。バベルの塔もいくつ建ったろうか。だが、二足歩行の弊害で僕らの種は明らかに、産みの苦しみを味わっている。その不安定な二肢の上に、重たい子を抱え、泣き叫び、死のリスクを負いながら激痛に耐える。僕は女ではないから産むことはないが、医療の進歩した現代でも、産むのは命がけと聞く。そういう意味では、吉野弘の詩のごとく、蜉蝣と人間と、産むことの苦しみは変わらぬのかもしれない。刹那の時空の只中に、悲痛な叫びと共に産み落とされた僕。そしてその僕を胎内に埋めていた母。ほっそりとした母の、喉元まで詰められていた、僕という存在。苦しく、なってくる。
最後に、実は、僕はセックスにて生まれた命ではない。僕は顕微鏡の上で受精させられた。どんな精子が選ばれたかは知らないが、父のそれと母のそれを、人の手によって無理くり繋ぎ止めたらしい。そして、どうやら僕という受精卵は、生命としてはあまり良くなかったらしく、すぐに胎内に移せばなんとかなるかもしれない、という状態だったとのことだ。実際奇形はあったが、なんとか生まれて、四半世紀生きている。全くの不思議だ。僕ってなんだろうか。そこまで望まれて生まれた、ということは良い意味で捉えたい。だがやはり、僕も蜉蝣の子であり、蜉蝣のように生きるのを強いられている気がする。僕もI was bornなんだな。宇宙の刹那の時空の只中に、繰り返される生き死にの苦しみが、ぐるぐると僕の全身を回っている。あんまり詩的な表現は好きではないが、随分とポエティックな文章になってしまった。真面目な文章なんて書きたくないんだ、本当は。セックスの話から始まったから、またヘンテコな随筆かと思った読者には申し訳ない。でもこればっかりは、不思議でたまらないんだ。僕の生まれにも関わるからさ。だが、あぁ、もう、言葉を尽くしても、言えないところまで来てしまったようだ。だから、あとは皆様に任せることにする。

厩橋(2024年8月6日、埼玉県川越市の自宅にて)


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