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*ひいろさんのこころのひと欠片

 ひいろさんの書くことで見つけるこころの出口。わたしのnoteセラピー。の記事中でわたしの記事を紹介頂きました:D

 ご紹介頂けて嬉しいです:D

 ふむふむ、今日はちょっとだけ気を抜いて記事を書いてみたいと思います。
 気を抜くと言うのは、noterさんの視線を一旦度外視して素直に書いてみようということです。
 そして、普段は立ち入らないように気をつけている自分のこころの中で作っている他者との境界線を踏み越えてみようという試みです。
 
 ひいろさんは感受性豊かで表現が多彩に出来るかただと感じています。
 一方で、感受性豊かな分コメントへの返答などで本当に感じていることとは違うけれど、あなたを不愉快にしたくないから違う言い方をしていますよと忍ばせてくれていることがあります。

 ひととの会話や気持ちのやり取りは複雑ですので、文章のみの中で意図しない伝わり方をすることが起きやすいです。
 わたしのひいろさんの見え方としては、ひいろさんはコミュニケーションの取り方について勉強されていて、それをnoteの場で実践されているように思います。
 知識とこころの間にまだそれなりの距離があり、知識通りの実践に躊躇いが見られます。
 でも、もともと感情に対して素直なのでしょうか、それを直接は言わないけどわかってほしいなという感覚が伝わってきます。

 わたしの中で少しひいろさんについて踏み越えた内容をお話しました。色々なご意見あると思います。特にここまでの文章は、ひいろさんについて、ですので御本人が意図するnoteの中のわたし像と異なるかも知れませんので、わたしの認識が著しく間違っている可能性を否定しません。

 よくもわるくも、noteはムラ的な側面がありますので表層で褒め合うことが日常化しがちな面があるのかなと思っています。
 また、たかがSNSでそこまで気を使って関係を意識したくないという意見もあるかと思いますし、そういった取り組み方もそれはそれでよいと思います。
 noteにかける熱量は人それぞれであって、それなりのひとがそれなりの場所で楽しんでいればよいと思います。
 ただ、表層でお喋りすることはとまり木であって、一時的なこころの平穏の一助にはなっても、それを続けていても一向に自助を深めることにはなりませんし、悪くすればこころの平穏を乱すものにすぐに変容するでしょう。
 皆様におかれましては、課題に直面し試行錯誤を繰り返す日々で疲れているかたも多く、せめてnoteの中だけでもやすらぎがあればと考えていらっしゃる方も多いのかなと推察しています。
 ですので、釈迦に説法であることはある程度念頭にありましたが、わたしの現状のnoteへの所感を合わせて記載させていただきました。

 ひいろさんご紹介ありがとうございます。
 わたしは器用ではないので、器用ではないように見えるひいろさんのことが好きですよ。

 皆様よい一日をお過ごしください。

 EMDbot

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