ガラス工房を何故潰したのか?今更検証してみる。
この記事は、現在アトリエとか経営してる人への注意点とか
若くに起業するなら方向性を間違うなとかって偉そうに書いてるけど、
老いも若きも今後何某らで起業するなら
何かの参考になればと思い書き綴ります。
僕は、1992年か?1993年か?
ともかく平成初期の26歳くらいの時にガラス工房を起業しました。
当初の軍資金は
機械などの設備投資で500万
建物と当面の運転資金で500万
工房となる自宅は自分でリフォームして安くすましました。
当時はバブル終期。
田舎では、まだまだバブル絶頂期の名残りがあり
21歳で家は建ててましたからね(オール借金で)
と言う環境でガラス工房を起業しました。
最初は、仕事がなかなか取れなくて。
設計事務所とか建設会社とか結婚式場とか
色々と営業かけたけど相手にされず。
中小企業の会とかにも顔を出したけど
消費されるのは飲み代ばかりで
何してるのやらって感じでした(笑)
でもね。
飲みに行くと、若き社長、アーティスト、先生って
かなり、モテるのですよ。
それで、鼻の下が伸びるのですよね~(笑)
だけど、僕は鼻は伸ばしたけど
下半身は伸ばしませんでした(笑)
何故なら、彼女たちはそれが仕事だと分かってたから(笑)
そんな感じで、最初は苦戦しましたが色々な出会いから
結婚式場の引き出物や店舗や住宅の設計事務所などと
取引き出来るようになりました。
そんな中、
何故か当時のダイエーホークスのファンの会の方の目に止まり
当時の王監督へ贈呈された2度の優勝記念ガラス盾や
当時の秋山選手への贈呈された2000本安打記念トロフィー
城島選手やその他の有名選手へ贈呈されたガラス記念品などを作り
これらが、ホークスグッズを統括している会社の目に止まり
ホークスのガラスグッズの会社と正式契約しました。
そして、迎えた2000年の日本シリーズ「ジャイアンツ対ホークス」
かの有名な王・長嶋のON対決です。
この時にかなり多くの優勝グッズの予約注文があり
こちらも、人員・材料と先行投資をして準備してましたが
日本シリーズ、ホークス敗れる・・・泣
優勝グッズは全て泡となり消えていき手元に残ったのは
幻の「ホークス日本シリーズ優勝記念硬式球」のみ
負けたので表に出せない代物です。
廃棄される前に記念に頂きました。(画像は出せませんが・・・)
ま~。今では笑い話ですが
この時はショックで泣きましたよ。
そして、この時ほどプロ野球を応援した事はないってくらい
TVに噛り付いて応援しました(笑)
おかげで、ホークスの応援歌が歌えるようになりましたから(笑)
※ちなみに今は超ホークスファンです。
そんなこんなで、この他にも地元のローカルTVに出たり
ガラス教室を開いて先生と呼ばれてみたり
従業員を雇ってみたりと
一時期は順風満帆でしたが・・・
時代は流れる・・・です。
安室奈美恵さんの地味婚から世の中の流れが地味婚に走り
結婚式関係の仕事は単価が大暴落。
今更のバブル崩壊が田舎にも波及して
建築関係の単価が大暴落。
需要は有るのに・・・
仕事はあるのに・・・
くっそ忙しいのに・・・
世間は「お前儲かってるやろう」と言うのに・・・
働けど働けど工房は大赤字・・・
これじゃ~俺の給料取れないじゃんな状況に・・・
従業員は早めに帰らせて
僕だけ夜中まで残業。下手したら徹夜。
この時の僕の口癖は
「セブンイレブンでバイトした方が楽じゃない?」
こんな状態だったので早めに見切りを付けました。
この時に応援してくれた銀行さんには
申し訳ないって今でも思ってます。
唯一一人の担当者がバリバリ応援してくれてましたから。
と言う事で、失敗した原因を今更検討してみると
・広告費の使い過ぎ。
・接待費の使い過ぎ。(単純に飲み代)
・時代が読めず単価が下がる→下請け体制の崩壊。
・お客への直販売体制(B to C)が築けなかった。
これに尽きると思います。
これらを鑑みて「たられば」で考えると
もし、ネットがあの時代に普及してたなら・・・
・自分の努力次第で広告費は0円。
・付き合いで無駄な飲み代使う必要なし
・下請けする必要なし
・直販体制が簡単に作れる。
ま~言い訳ですが、ネットがあと10年早く普及してたなら
潰さずに済んだだろうな~と今でも思います。
今更なんですけどね。
この様に自分の背景を再確認してみると
今の時代は良いですよね。
ネットを使えばアイデア次第で簡単に起業できます。
リアルに比べたら経費もほとんど掛からないし
パソコン1台とネット環境さえあれば簡単にスタート出来る。
そして、何よりも失敗しても何度もチャレンジ出来る。
先行投資がほとんどない分、本当に身軽に始められます。
ほんと、良い時代ですね。
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