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腸をなくした男─目覚めたら人工肛門になったぼくが、 うんちにまみれながらもがいて、 首を吊るまでの五六〇日間─

Kindle 版 第三弾 ついに発売 !!
大好評をいただいている Kindle 版 Zushi Beach Book シリーズですが、ついに第三弾を発売します。
そのタイトルは「腸をなくした男 ──目覚めたら人工肛門になったぼくが、うんちにまみれながらもがいて、首を吊るまでの五六〇日間──」

大腸癌に罹患、切除手術を受けた結果、人工肛門を造設され、ときにはうんちにまみれ、ときには腹痛に苛まれ、さながら藻掻くようにして生きた 560 日を赤裸々に描いた渾身のドキュメンタリーです。

現在、絶賛発売中ですが、冒頭部分をいち早く、特別にここに無料掲載します。どんな壮烈な日々だったか、その一端をお読みください。

 まえがき

 物知りとはほど遠いことは自覚しているけど、それなりのことについてはちゃんと知っているんだといっぱしのつもりで生きてきた。そういう人間がまったく見知らぬ事態に遭遇したらどうなるのかというと、茫然自失、前後不覚といった状態になり、うろたえることになる。
 ──人工肛門──
 お恥ずかしながら手術前に先生にいわれて、はじめてその言葉を知った。ちなみにぼくのお腹を掻っ捌いた先生は女性だ。
 その言葉を聞いてすぐに頭に浮かんだのが、なんとサイボーグ009だった。子どもの頃に夢中で読んだ漫画の主人公、島村ジョーの透視図が単行本の扉に描かれていたんだが、全身を改造された彼の身体には人工肛門が備えられていた記憶があった。
 まさかそんな機械仕掛けのなにかをぼくの身体に埋め込むのかと一瞬だが思ってしまった。いや、勘違いも甚だしかったんだけどね。
 実際に手術が終わって、ぼくのおへその左側に貼りつけられたストーマパウチを見て、あまりの現実な解決方法に酷く絶望的な気分に陥ったのは正直な話だ。
 みんなもその意味を調べるときに重宝しているだろうウィキペディアによると「消化管の疾患などにより、便を排便するために腹部に造設された消化排泄孔」とある。ぶっちゃけていうと大腸の先っぽが臍の横からぴょこんと飛び出しているだけだ。
 ここから排泄物──うんちがそのままのべつ幕なしに垂れ流されることになる。やれやれ。
 まあ、有り体に申せばこれが人工肛門だ。島村ジョーの体内に埋め込まれたものとは雲泥の差になる。あたりまえの話か。
 実際にぼくが自分自身の人工肛門──ストーマという──とご対面となったのは、術後に経過を看るための別室から入院している病室へ移ってからだった。身体中につけられたいろいろな管があって自分の身体がまるでなにかの実験動物にでもなってしまったような気がしていたときに、臍の左側に貼りつけられたストーマパウチを見たときだ。このパウチは表側が半透明になっていて、中が透けて見えるんだが、パウチの穴の部分から突き出た人工肛門、ストーマを見ることができた。
 赤く身体から突き出たぼくの人工肛門。いまとは違って手術直後だったのでかなり腫れていたらしい。ぼくにはまるでウルトラマンのカラータイマーのように見えた。
 ──おいおい、人間じゃなくなっちまったぞ。
 まぁ、身体にいろいろ管が繋がれていたので余計にそういう思いに駆られたのかもしれない。しかし、これはけっして夢でないことだけは確かだった。
 春先から体調不良に陥ることがあって、最初はただ派手に吐き、おまけに下からも盛大に排泄物が出ていたので食中りだと思っていたのが、この顛末だ。いや、マジで最初はよく食べていたパイナップルに中ったんだと思い込んでいたのだ。それがこんなことになるとは。
 還暦を過ぎて、風采の上がらないただのバツイチ男をこういう災難が襲うとは、なんという人生だろう。まぁ、神様なんていう存在を無条件に信じるほどナイーブではなかったけど、なんだかずいぶんだよなぁ。
 そんな本人にとっては充分悲劇と思いたいできごとに遭遇してしまったわけだが、きっと世間的に見ればただのドタバタ喜劇なのかもしれない事の顛末を語ってみたいと思う。
 最後までお付き合いいただけるとぼくにとってはこれに勝る僥倖はないだろう。せめてそのぐらいのささやかな喜びを感じてもいいかとご賛同いただければ幸いだ。

 その一 誰がために腸はある

 その年の春、二〇一八年のことだが、自宅でMacに向かって書きものをしていたぼくは突然激しい腹痛に見舞われてトイレに駆け込んだ。いままで数限りなく下痢は経験してきたけれど、このときはなにかが違っていた。かなりの量の排泄物が出るだけ出て、最後には水便になってしまった。こんな下痢はついぞ経験がない。
 さすがのぼくもちょっと不安になったことは確かだ。
 胃腸が特に頑丈というわけではなかったけど、逆にいえばさほど弱いわけでもなく、ふだんから下痢がちということはなかった。とくにここ最近は快食快便の日々が続いていたので、なぜにこんな状態になったのかまったく思い当たる節がなかった。
 トイレをいったん出て机にまた向かったのはよかったんだが、また腹具合がおかしくなり、すぐにトイレに駆け込むことになった。出るのはもはや形のない水便だけ。しかも、腹痛が続き、トイレを離れることができるようになっても机に向かえるような状況にはならなかった。
 布団を敷いて倒れるように横になると、痛むお腹を抱えながら二時間ほど眠っただろうか。トイレを出てから眼を閉じるまで、なぜにこんなに激しい下痢に見舞われたのか考えてみたが、まったく思い当たる節はなかった。もしかしたら食中りかとも思ったんだが、そもそも食べ物に中った経験もないので、この下痢が果たして食中りだという確信も持てなかった。
 夕方にはいったん眼を醒ましたが、さりとて食欲があるわけでもなく、また起きてなにかをやるだけの気力も湧かずにこの日は結局、布団の中で夜を過ごすことになった。二三時間おきに一度、トイレにいくんだが、やはり水便しか出なかった。
 まったくなにに祟られたのか。よくよく考えてみればこの日は四月十三日の金曜日であった。やれやれ。

 それなりに長く生きてきたんだが、ぼくと病院はかなり疎遠な関係だったといえるだろう。子どものころは病弱だったようだが、ぼくの記憶をそれなりに探っても病院に通った覚えはほとんどない。これが手術となるととんと縁がない。一度、まだ小学校の低学年だったと思うけど大阪の親戚の家に遊びにいったとき、玄関先ですっころんで牛乳瓶の欠片で左の掌をざっくりと切ってしまったことがある。このときは縫合手術を受けているはずだ。なぜか手術のことはほとんど覚えていないが、いまでも掌には縫った跡が残っている。
 高校のときに右鎖骨を骨折したことがあったけど、このときは手術をしていない。単純骨折だったらしく、ぐいっと押さえ込まれてそのままギブスでぐるぐる巻きにされただけだった。いまでも折れた場所が判るけど、なんら支障はない。しばらく右手が使えなくなり、左手でも箸がきちんと使えるようになったので、逆にラッキーだと思ったぐらいだ。
 それ以外に通ったことがあるとすれば歯医者ぐらいのものだ。
 それでもそれなりに年齢を重ねるといろいろなことがある。手術らしい手術といえば大腸ポリープの切除をしたことがある。二十世紀最後の年の二月のことだ。原因はなんだったのか。血便が原因だったかなぁ。もはやそれは記憶の彼方なんだが、台の上に仰向けに寝て、足を組んだ状態で、肛門から内視鏡を入れられたことは鮮明に覚えている。
 これがまるで笑い話のようなんだが、担当してくれた医師がかなりのベテランで、ぼくの肛門から内視鏡を入れて手術をしてる最中だというのに、いったんぼくを放置したまま、ほかの先生となにやらレントゲンなんかを見ながら、別の患者の相談をしはじめたことがあったのだ。じつは手術前の検査のときの担当がきっと新人だったのだろう、内視鏡を入れられたときに滅茶苦茶に痛かったのだ。そのときとは雲泥の差だったので、ベテランのその技術力に感心したものだ。
 そのときのポリープは良性だったことを覚えている。あれ? もしかしてぼくは大腸にポリープができやすかったのか。なんてことをいまさら思い出しても、まったくなんの助けにもならないけどね。ふむ。
 そのあと、一度痛風になり、それからしばらく薬を処方してもらうために通院していたことがあった。それも逗子に引っ越しをしてからは足が遠のき、気がついたら年に一度、花粉症の薬を処方してもらうために病院に通うぐらいになっていた。まぁ、俗にいう病院嫌いなのかな。風邪をひいてもよほどのことがなければ病院にいく考えが浮かぶことはない。歯医者も逗子に引っ越す前に親知らずを抜いたのが最後。病院を避けて通るように生きてきたといっていいだろう。
 そんなぼくだから健康に一切頓着しないのかというとそういうわけでもない。それまでは破天荒な生活をしていたところがあるけれど、二〇一四年に逗子に戻って、独りで生活するようになってからは、まず食べ物に気をつけるようになった。独りになったのには、それなりのドラマがあって、その話をはじめてしまうと、また別の物語をいちから語り出すことになるので、今回は割愛させてもらう。
 まぁ、独りになって、ということは離婚をして、バツイチになってということなんだが、自分で食事を用意することになる。あたりまえの話だね。このときになによりもぼくが食べたかったのが生野菜だ。こんなことってぼくにとっては画期的なんだけど、ともかく青虫にでもなったようにキャベツをむさぼり食いたい欲求にかられて、朝晩せっせとキャベツのサラダを食べるようになっていた。
 はじめはただキャベツの千切りを食べているだけで満足していたんだが、やがて食材に拘るようになった。といってもキャベツには拘りようがないので、ドレッシングに気をつかうようになった。
 これはきっかけはなんだったか。たとえばドレッシングを買うときに原材料を確認するようになったのだ。一度、店頭にあるドレッシングをその手に取って確認してもらいたい。ぼくがそれまで毎日のように食べていたキャベツの千切りに使っていたドレッシングには「果糖ブドウ糖液糖」が入っていた。これはなにかというと砂糖の代わりに甘みを加える成分だ。いわゆる人工甘味料ね。これはいろいろな意味で身体にはよろしくない。
 ただこれを使うと味を便利にコントロールできるのでさまざまな食品に使われている。身体によろしくないのであれば極力使いたくないと考えるのがふつうではないだろうか。ということで、ぼくは市販のドレッシングを買うのを止めた。
 どうしたのか?
 自分で作るようになったのだ。オリーブオイルと亜麻仁油、それにワインビネガーと塩を混ぜて作ることにした。最初はちょっと味がキツい感じだったけど、ほぼ毎朝晩食べているうちにすっかり慣れてしまい、このドレッシングでないと食べる気にならなくなったほどだ。
 ただそこまで徹底して拘るわけではなく、拘れるところはといった程度かな。なにしろすべての食べ物を自然なものにと思っても事実上それは不可能だしね。
 あと気をつけるようになったのは「植物性油脂」かな。これがまた「油脂」という名前から油にだけ使われているんだろうなんて思いがちだけど、ところがどっこいいろいろな食品に使われている。食べ物に貼りつけられている原材料表は量の多いものから順番に記載されることになっているんだけど、それまでなにげに飲んでいたスティックコーヒーの原材料を確認して、それこそ飛び上がるほど驚いたことがある。なんと原材料の一番最初に「植物性油脂」の表示があったからだ。珈琲だと思って飲んでいたのは、じつは「植物性油脂」だったわけで、これには心底驚かされた。「インスタントコーヒー」は原材料としては四番目だった。
 それでも拘るといってもその程度で、糖質を一切断つとか、グルテンは駄目とか、すべてを自然食品にするというわけではない。まぁ、せいぜいが気をつけられることがあれば気をつけようかといった程度だね。
 ということで日頃からキャベツの千切りをむしゃむしゃと食べていたわけで、ぼくとしてはとても健康に拘っているつもりだった。でも、結果が決してそうではなかったことを教えてくれることになったわけだ。それも「癌」という結果で。やれやれ。

第二章 第三章

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