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腸をなくした男─目覚めたら人工肛門になったぼくが、 うんちにまみれながらもがいて、 首を吊るまでの五六〇日間─

Kindle 版 第三弾 大好評発売中 !!
大好評をいただいている Kindle 版 Zushi Beach Book シリーズですが、第三弾大好評発売中です。
そのタイトルは「腸をなくした男 ──目覚めたら人工肛門になったぼくが、うんちにまみれながらもがいて、首を吊るまでの五六〇日間──」

大腸癌に罹患、切除手術を受けた結果、人工肛門を造設され、ときにはうんちにまみれ、ときには腹痛に苛まれ、さながら藻掻くようにして生きた 560 日を赤裸々に描いた渾身のドキュメンタリーです。

現在、絶賛発売中ですが、今回は第二章の冒頭部分を特別にここに無料掲載します。どんな壮烈な日々だったか、その一端をお読みください。

 その二 俎板の上の鯉は夢を見るのか

 華岡青洲という人物をご存じだろうか。
 世界で初めて全身麻酔を使った手術を成功させた江戸時代の人物だ。
 気がつくと手術は終わっていた。ぼくの身体がどうなったのか、まったく解らなかったけど、意識を取り戻したときぼくは手術台に寝かされたまま、看護師に語りかけられていた。
「終わりましたよ」
 確か、そんなことを話しかけられたはずだ。ただ、ぼんやりとした頭で、ぼくはなぜか華岡青洲のことを考えていた。大腸ステントの留置のときも、大腸ポリープ切除のときもそうだったけど、必要に応じてきちんと麻酔をコントロールできることに、素直に驚いていた。それは、いまもそうだ。だからなんだろう、ぼくにとって彼は麻酔からイメージできる唯一の人物だったからだ。現代の麻酔とその当時、彼が使用した麻酔はまったくの別物なんだけどね。
「人工肛門になりました」
 そのときにそう告げられていたはずだったけど、それはほとんどぼくの記憶に残っていない。いや正直にいおう。聞きたくない話だったのだ。そんなことをしても無駄なのに、聞かなかったことにしたかったのだ。
 手術が終わってすぐにぼくは別のフロアの観察室へベッドに横になったまま連れていかれた。あとで判ったことだけど手術は全部で四時間弱ほどだったようだ。だからこの部屋に入ったのは午後の二時前ぐらいだっただろうか。観察室でぼくはなにも考えられず、ただときおり身体全体を苛む痛みを感じながら眠った。
 この部屋には外光が入っていなかったこともあるし、時計もなかったので、眼を醒ましてもいったい何時ぐらいなのか、それがまったく判らなかった。そんな状態で痛みを感じて眼を醒ます。周りの様子からいま何がどうなっているのか探ろうとするんだが、しかし朦朧とした頭ではまともに思考するということができない。そして眼を閉じると、また眠りへと落ちていく。
 これを数え切れないほど繰り返した。明けない夜はないというけれど、いつになったらその夜明けがやってくるのか、まったく判らない状態で、何度も何度も眼を醒まして、そして痛みを感じて、また眠りに落ちていった。
 何度か検診があったようだが、身体のあちこちから管が出ていて身体を動かすことができない。やっと身じろぎしたかと思うと、激痛が襲ってくる。だから仕方なく眠る。こんなに長い夜はいままで経験したことがなかった。
 そしてやっと翌朝になった。
 看護師の人が朝の検診だと伝えてくれて、やっと朝になったことを知った。レントゲンを撮るといわれていたので、どうやってレントゲン室へいくのかと思っていたら、なんとレントゲンを撮影する機械がその部屋へやってきた。これにはさすがに驚いた。ぼくの身体の下にプレートをセットして、その場で撮影。前にも書いたけど医療の現場ってのは思った以上に未来だ。
 病室へ移動すると知らされ、手術着から通常の病院着に着替える。ご丁寧にも用意されたおむつを着けさせられた。うむ、おむつか。まぁ、この状態は確かに赤子のようなものだもんなぁ。やれやれ。
 車椅子で病室まで連れていってもらい、ベッドに横になった。そのときに改めてぼくの身体にいろいろな管がつけられていたことを知った。
 まずは点滴用の管だ。これが左手についている。そして背中には痛み止めを注入するためのカテーテルだ。注入用のボタンを押すとそれに応じて痛み止めが注入されるようになっている。そしてペニスには膀胱までのカテーテルが挿入されていた。さらに患部にはドレーンが刺さったままになってる。これは腹腔内に溜まった消化液やら膿、血液や浸出液を排出するためのものだ。
 それぞれの管の先にはだからそれぞれの容器が必要に応じてぶら下がっている。こういう表現が正しいのかどうかは判らないが、さながらフランケンシュタインだ。
 手術の翌日なんだが、できたら歩きましょうと看護師にはいわれていたけど、とてもじゃないがベッドから出る気にはなれなかった。そもそも身体を動かせるとは思えなかった。管と容器がぶら下がっていて、なんだか身軽という単語とは真逆の状態だし、しかもすこしでも動くと患部が痛むからだ。そのたびに痛み止めを注入するわけにもいかない。ぼくはベッドの頭の部分を操作して、上半身を起こした状態で過ごすことにした。
 術後どうなったのかをきちんと認識したかったけど、しかし管をあれこれつけた状態で、しかも身体も動かせないので、まともになにかを考えるということができなかった。ぼくの臍の横にはストーマパウチが貼りつけられていたけれど、それが実際にどんなもので、なにをするためのものなのかをきちんと考える気にもなれなかった。ただ眠気に誘われるままうとうと眠り、眼が醒めると本を読んで過ごした。読んだ内容なんてほとんど頭には残っていなかったけどね。
 夜、いつものようにMacでネットを利用して映画を観た。すこしだけぼく自身の生活に戻ることができたような気がした。それでもこの日はただ術後の一日としてしか記憶に残っていない。日がな一日ベッドで過ごしたのだからあたりまえといえばあたりまえなのかもしれなかった。

まえがき・第一章 第三章

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