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シン・仮面ライダーが邦画を殺した

初めに

このタイトルに惹かれて記事を開いた人には、以下の二通りいると思う。

①俺と同じくシン・仮面ライダーを駄作だと思い、共感できる意見を読んでむかつきを発散したい人

②シン・仮面ライダーや庵野秀明が好きなので、俺にむかつき、隙あらば俺を殺したいと思っている人

俺は①と②、どちらの人にもこのnoteを読んでほしいと思っている。
特に②の人に対しては、読んでいる途中でイライラして罵詈雑言を俺にぶつけたくなること必至だけど、「絶対に最初から最後まで読んでほしい」と思っている。

どちらの人に対しても、間違いなくタメになる内容なので、長くなるけど付き合ってほしい。

庵野秀明について

庵野秀明とは、シン・仮面ライダーを作った男であり、エヴァンゲリオンの生みの親として超有名なアニメーターである。

メッチャ仮面ライダー好きなんだね

俺個人の知識レベルを述べると、エヴァンゲリオンは知っていて、TV版のアニメ一通りと旧劇場版、そして新劇場版の序と破だけ見ている。
この時点で「新劇全部見てないとかニワカじゃねえか死ね!!」と思う人がいたら、ちょっと落ち着いてほしい。庵野ファンの中にはエヴァンゲリオンを義務教育だと思っている人間もいるけど、現実にはそうじゃない。むしろ「最低だ、俺って」(あってる?)のネットミームや、エロ同人誌、パチンコでしか知らない人の方が多いと思う。

最低だよ

俺も「エバを哲学的に語ろうとする人間とは友達になりたくないな」「エバって響きがエホバに似てるし信者がヤバいのも似てるな」「なんでミサトさんってエバーっていうのかな」と思っていた。

でも、2016年に『シン・ゴジラ』を劇場で見て、その考えは一変した。
『あ、あ、庵野ってすげえええええええええ!!!!!!!』と思った。

マジで怖い

『シン・ゴジラ』は映画として神の域に達していた。
ストーリーも映像もキャスティングも音響も全部が最高で、『ダークナイト』や『レディ・プレイヤー1』を劇場で観たときと似たような興奮を覚えた。

邦画で例えるなら、『千と千尋の神隠し』にも格落ちしない作品だ。
"一アニメーターが超有名原作にイッチョガミして作りました"なんてクオリティでは決してなかった。

それまでの邦画は死んでいた。正確には、邦画の「実写エンタメ作品」が息をしていなかった。話題になるのはジャニーズやらエグザイルやらが主演している少女漫画原作の映画や、テレビでやれよとしか言いようのない滑りギャグ全開の似非コメディ(それでいて最後はちょっと泣かせようとしてくるこざかしいクソ)映画、それか作品としては面白いが派手さはない芸術映画しかなかった。

最凶の映画・テラフォーマーズも2016年

そう。何よりすごかったのは、『シン・ゴジラ』が「実写=特撮」というジャンルでド派手に戦ったことだった。唯一日本の映画をぎりぎり支えていたアニメのジャンルでは、同年に、あの『君の名は。』が公開された。『シン・ゴジラ』は興行収入でボロ負けしたが、話題性では負けていなかった。死のコロナビームで新海誠を焼き尽くさんばかりに追い詰めていた。

本noteのメインテーマじゃないので、そこまで深くは掘り下げないが、もっと具体的に『シン・ゴジラ』がどう面白かったかは、これより先の項目で少し触れられると思う。だが、ここで、これだけ確認しておきたい。

両方を見た人間の中で、「原作としてゴジラよりも仮面ライダーが好き」とか「庵野の作品はいずれも物凄く哲学的で深いテーマ性を持つのである🤓」とかは抜きに、純粋な"映画"として、『シン・ゴジラ』よりもシン・仮面ライダー(以下めんどくさいのでシンカメと呼ぶ)の方が優れてると言い切れる人はいるだろうか?

ここで、もし「私がそうである!」と名乗れる人がいるならば、自分は先に謝っておきたい。これから先の説明は、すべて『シン・ゴジラはシンカメよりも圧倒的に優れている(というか並列で語ることすらおこがましい)』という前提で進んでいくからだ。もしもシンカメの方がシンゴジ(これも略すね)よりもエンタメ的に優れているということを論理的に説明できる人間がいたとしたら、その人のnoteもぜひ読んでみたい。

シンカメの評判に感じた違和感

俺がここまでシンカメにブチ切れているのも、最初は100000%個人的な好みの問題だと思ってた。

でも、本作公開後に広まった多くの"肯定的"なツイートを見て、考えが変わった。

「このシーンは良かった」「庵野監督の愛を感じた」「庵野100%を堪能できる映画」「賛否別れるけど庵野としては及第点」「一般の人にはちょっと庵野分かりづらかったかな」

庵野の話ばっかなのは良いとして、100%の「面白かった」がほとんどないのである。

あんなに話題になってるのに、そんなはずはないだろう…と、「シン・仮面ライダー 面白い」で頑張って検索してみると、ようやくちょっとだけ出てきた。

声を大にして言いたい。
俺はこうやって、作品を100%面白いとか、100%駄作だと言い切れる人間が、本当に本当に、腹の底から大好きである。
人間として憧れるし、素晴らしい映画を後世に受け継いでいくためにも、そうありたいと願う。いきなりデカい話になったなと思うかもしれないが、このnoteを最後まで読んでもらえば、俺の言いたいことを"心"で分かってもらえると思う。

皆こうなると思う

とにかく、だから俺は、シンカメを見た後に勇気を出してツイートしてみた。

その結果、様々なコメントが返ってきた。賛同のリプもあれば、「低学歴」「アイコンがガキ臭い」などの鋭い攻撃もあった。

後輩が作ってくれたイケてるアイコン
ドラえもんのTシャツを着ている

色んな意見があったが、ここは代表して、一番最初に俺に反論してくれた金星眼鬼(以下眼鬼)のツイートをメインで取り上げたい。

なぜか埋め込めなかったからスクショ


このなんとも言えない感覚が、伝わるだろうか。
一連のツイートを見たとき、俺は、眼鬼の気持ちが痛いほどわかった。
そして、庵野秀明を心底ぶん殴ってやりたいと思った。


おい庵野、見てるか。

眼鬼はな、こいつは、本当に仮面ライダーが好きなんだよ。

なのにお前がどちゃくそ中途半端なゴミ映画を作ったせいで、好きなものを否定されてはらわたが煮えくり返るほど怒ってるのに、それでも「100%面白いだろ死ね」って叫べねえんだよ。

お前をド素人の俺と横一線に並べて、「ほならね」しか言えねえんだぞ。
それがどんなにつらいことか、想像できるか?

眼鬼にはマジで申し訳ないと思っている。
だが、俺はお前のツイートを見て確信した。

シンカメは、ファンにまで「感情の封殺」を強いる最低最悪の拷問映画なのだ。

ゆえに俺は、庵野の、あの「シン・ゴジラ」を作った男の目を覚ますために、今この文章を書いている。

※ここからメチャクチャネタバレありなので、万が一まだ見てない人がいたら一旦帰ってほしい。この先日本国憲法通用しません。

シンカメが超絶クソ映画だった理由

細かいことを語りだすときりがないので、3点にまとめて述べる。

①構成がクソ

ヒーロー映画、というかすべてのエンタメ映画において、なくてはならないものは何か。それは、「障害」である。
ヒーローが障害を乗り越える。するとまた新しい障害がやってくる。ズタボロになりながら、ヒーローはそれも乗り越える。だがさらに、今度は絶対に乗り越えられないような大きな障害がやってくる。その時、ヒーローは既にすべてを失っている。恋人も、友人も、仕事も、家庭も、全部壊れてしまっている。しかし、それでも立ち上がって戦う。なぜなら、そいつはヒーローだからだ。そして、最後にヒーローは勝ち、すべてを(それか多くの場合、最も大切な一つを)取り戻す。そのさまを見て、観客はカタルシスを覚える。

シンゴジも、敵=ゴジラがどんどん進化していく。政府は対応に追われ、寝る間も惜しんで新たな障害に立ち向かい続ける。自衛隊が出る。倒せない。米軍が出る。ゴジラがひるむ。今度こそ倒せると思った。しかしゴジラはその場でまた「進化」し、神々しささえ覚える美しい放射能のビームを放ち、戦闘機を打ち落とすどころか、東京を火炎地獄に変える。

くっっっそかっけえ

だが、人間も諦めない。彼らは最終的に、鉄道まで動員した奇策「ヤシオリ作戦」によって、戦いに終止符を打たんとする。


さて、シンカメはどうだっただろう。
まず、広告でメッチャラスボス感が出てた蜘蛛男をあっさり倒す。すると同じぐらいの強さのコウモリ男が出てくる。こいつはなんかヒロインの機転で圧倒し、ごっつぁんライダーキックで倒す。よくわからないけど、なぜかヒーロー=一号はちょっと苦悩している。するとヤバそうなサソリ女が出てくる。モブが倒す。西野七瀬が出てくる。一号というか池松壮亮は手加減してなんか倒せなかったので、斎藤工が代わりに倒す。ヒロインを殺した本郷奏多は二号が倒す。森山未來も二号が頭突きで倒す(てかその直前も池松壮亮は二号に救われている)。最後に二号というか柄本がよくわからん理由で池松の遺志を継ぐ。

死ねとしか言いようがない。

ヒーローが弱すぎるし、大前提として、同じレベルの敵=障害が連続で出てくるなんてありえない。エンタメでそんなことが許されるのは、オープンワールドゲームだけだ(厳密にはオープンワールドゲームもRPGよりはるかに緻密なレベリングをしているが、例えとして許してほしい)。「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」が面白いのは、プレイヤーが自分の意思で選択し、好きなように道を進めるからである。

続編出るね

映画はそうじゃない。観客は、監督の考えた道筋を、監督の思う通りに進むよう強いられる。いうなれば、映画はジェットコースターである。だからこそ、監督は常に観客にとって最高のレールを作らなきゃいけない。時に速度を変えたり、グルグル回して方向感覚を失わせたりしなきゃいけない。

庵野がシンカメでやったことは何か。時速15kmくらいで進むトロッコに俺らを乗せて、自分のオナニー写真を延々見せながら、途中で長澤まさみのお色気衣装や浜辺美波の着替えシーンでお茶を濁しつつ、よくわかんない所で降ろして、バカでかい「完」の文字を見せただけだ。秘宝館も真っ青のお粗末ぶりである。

起伏で言えば、いわゆる「緊張と緩和」も死んでいた。物語において、全てのシーン、すべての会話は、感情曲線における+と-の繰り返しで作られなければならない。俺の理解では、エヴァンゲリオンにおける庵野秀明は、その点を気が狂うほどストイックに詰めていた。碇シンジの感情の動きを丁寧に追い、楽しい日常パートを展開させた後で、絶望のどん底に突き落とす。エヴァが一世を風靡したのは、あの「緊張と緩和」があったからこそだと思っている。

マジで心から、あれほど素晴らしい感情劇を作れる男が、なぜ実力派の池松にコナン映画にゲストで出てくる素人の子供のような喋り方をさせたのか、なぜ敵に操られた人間の大群がジワジワ迫ってくるシーンで無意味にダラダラと食事の片づけをさせたのか、そして特に、最も大きな疑問として、なぜ長澤まさみをあんな"ギャグ"(あの展開に唯一の意味を見出すとすれば、そうとしか形容できない)で消費したのか、まったく意味が分からない。
あのシーンを見たとき、俺は監督が途中で福田雄一に代わったのかと思い、席を立とうか悩んだほどである。

②世界観がクソ

仮面ライダーの怪人たちは、「肉」だからこそキモくて最高だった。俺は「悪夢探偵」という映画が超好きだが、同作を見たことのある人なら、俺が言わんとしてる共通点を感じ取れると思う。

悪夢探偵のワンシーン
邦画屈指のダークホラー

いうなれば、ゴジラも「肉」だし、ウルトラマンも「肉」である。「生(なま)」と言い換えることもできる。同じ有機物なのに、明らかに自分とは違う性質を持っている。明らかに違う性質を持っているのに、同じ有機物である。そのアンビバレントなスタンスが、特撮の怪人を恐ろしくて癖になる異物たらしめている。

PSの格ゲーでコイツばっか使ってた

一方、シンカメの敵は「鉄」だった。設定上は「肉」なのだが、ショッカーという名詞にまでよくわからない英語の当て字がふられていたり、科学的な理屈を異様に長々と説明したり、無駄にメカメカしさを押し出してくるところがいちいち気になった。

シンカメ蜘蛛男の見た目はこれ

俺は、これが庵野秀明なりの「シン」という冠に対する"礼儀"なのだと感じた。礼儀という呼び方には、やりたくてやっていたわけではない、という意味が含まれている。むしろ、やりたいことをやらせてもらう代償として行った、愛のない脚色だったように感じる。

庵野秀明にとって、仮面ライダーを「現代的に再解釈する」という縛りは、邪魔でしかなかったのかもしれない。だから、申し訳程度に現代要素=機械っぽさをちょちょっと入れた。でも、大好きな仮面ライダーを作るのだから、彼自身にも譲れない部分はある。当然、不協和音が生まれる。真面目というか病的なほど几帳面な庵野は、ファンのためを思ってか、はたまた自分の気持ちを整理するためか、その不協和音に「理屈」をつけずにはいられなかった。結果、どうでもいい説明は長くなり、世界観は崩壊した。

ストーリーテリングは同じように崩壊していたとしても、2004年の映画『CASSHERN』(キャシャーン)は、この世界観づくりにおいて大成功していた。

憎めないクソ映画

同じクソ映画でも「記憶に残る映画」は、この世界観づくりが巧みだ。シンカメを思い出してみてほしい。何が残っただろうか。俺はサイクロン号がひとりでにコロコロついてきてかわいかったシーンしか思い出せない。

③アクションがクソ

上で述べた「リアリティ」と「フィクション」の折り合いに関する問題が、アクション面でも起きている。

こればっかりは見てもらうしかないが、とにもかくにも"不自然"としか言いようがない。現実的でもなければ、虚構的でもない。「それってお前が言ってたアンビバレンスじゃん!」と反論されるかもしれないけど、そうではない。「あれが原作の味なんでゲスよ🤓」「素人は死んでほしいでヤンス🤓」と言われること前提で形容すると、端的に、マジでダサい。お金をめちゃくちゃかけているはずなのに、お金がなくてコレしかできませんでした、という見せ方をしている。成金がフェラーリで牛丼屋に乗り付け、「やっぱこれだね」と言いながら並盛りを食べている感じ。動きにも技術にも無駄が多い。意味が分からない。

俺の解釈だと、多分庵野の頭の中では、こう見せているつもりかもしれない。

しかし、妙なリアリティと無意味なCGを追求した結果、これになった。

眼鬼は見づらさにプレッシャーすら感じている

あの奇妙な映像には、もしかしたらなんらかの学術的な価値があるのかもしれない。ここに関しては、逆に1900円払ってでも見に行く価値がある。
そして、俺と一緒にこの疑問や"絶望"を感じ取ってほしい。

これからの日本映画について


ここまで書いていて、ようやく感情の整理がついた。
俺が感じていたのは、怒りじゃなくて「絶望」なのだ。

シンゴジラを見たとき、俺の目の前に一筋の光が差し込んだ。
それは、もはやアニメしか残っていなかった日本映画界に、「特撮」という新たな希望が見出された瞬間だった。

ゴジラという切り札を場に出してなお、俺らの手札には「ウルトラマン」と「仮面ライダー」が残っていた。いずれも、一枚で盤面を制圧できる物凄い力をもった神のカードだ。代表プレイヤーは庵野。最高のタイミングで最高のカードをプレイした男だ。選手交代はない。相手がアリ・アスターであっても、ポン・ジュノであっても、クリストファー・ノーランであっても、五分に戦える。

庵野はウルトラマンをベロっと舐めて、墓地に置き、ターンエンド。俺らは一瞬目を疑ったが、気を取り直した。これは、庵野の巧みな心理戦だ。やってくれるぜ。さすがに一流の戦いはレベルが違う。

次のターン、庵野は仮面ライダーに精子をぶっかけ、追放領域に置いた。

戦いは終わった。もうA24には逆立ちしても勝てない。日本はインド映画のエネルギーに飲まれ、アニメもAIに乗っ取られるだろう。

ちなみに、これが最新のAIで作られたアニメらしい。マジで凄いね。宮崎駿、新海誠、本当に頑張ってくれ。あとは負け方だけだ。

これは庵野の責任じゃない。庵野に任せた俺らの責任である。
「まあ庵野だから」「賛否両論は当たり前」「批判してる奴は単なる逆張り野郎w」とか呟きながら、批判によっておこる不和を恐れ、笑ってその場をごまかし、逃げ続けた俺らの責任である。

人間は、特に日本人は、ある程度上の地位まで上り詰めると、誰にも叱ってもらえなくなる。俺はまだそんなに偉くなったことが無いからわからないけれど、その状況がいかに恐ろしいか、想像してみることはできる。

次は「シン・ヤマト」になるとか、「シン・セーラームーン」になるとか、いろんな噂が立っている。しかし、仮にそれらがシンカメと同じレベルの出来だったとして、もう95%諦めている俺には、今回と同じような熱量で怒れるようなエネルギーは残されていない気がしてる。

だから、庵野ファン、頼む。
俺が怒れなかったときは、代わりに100倍ぐらいの速度で、1万倍ぐらいの語彙で、1億倍ぐらいの愛で、あいつを叱ってほしい。

庵野は絶対に作れる。
誰もが「面白いから絶対見て!!」と他人に胸を張って勧められる映画を、もう一度、作れるはずなんだ。

追記:俺の手札

サレンダーします

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