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自閉症をめぐる誤解について①

自閉症に関しての誤解の数々が親を苦しめてきた暗い歴史がある

1冊の本をご紹介して、今日、ともすれば忘れがちになっている自閉症をめぐる誤解の数々に思いを寄せたいと思います。文化人類学者であり自閉症の娘をもつロイ・リチャード・グリンカーの著書「Unstrange Minds: Remapping the World of Autism」は、2007年に米国で発刊された後、大きな反響をよびました。このことを知り、日本の読者にもぜひ知っていただきたいと思い、監訳を手がけることになり、発刊まで時間を要しましたが、翻訳本「(邦題」自閉症:ありのままに生きる~未知なる心に寄り添い未知ではない心に」として世に送り出すことができました。グリンカーは、近年では、自閉症の疫学研究や、社会の啓発、コミュニティへの浸透など広汎な活動をされています。文化人類学者として、またレオ・カナーと同世代の精神科医の祖父を持ち精神科医が何をしてきたかをよく知る人として、この本を通して、私たちが忘れてはいけない自閉症をめぐって社会が負っている罪の歴史を思い起こしてくれます。親を責めるのは安易な方法で、研究が進んだ今日でも、まだそういった言説がなくなったわけではありません。誤りも含む情報氾濫の中で戸惑っている親は今もなお、多いのです。このことを支援する立場の人間として、肝に銘じるようにしていますし、この文章を通して、知らなかった方とも共有したいと思っています。

自閉症のある子どもを愛情をもって育てるということ:「愛着障害」説の功罪

この本は国境や文化を超え、グローバルな視点で自閉症のある子どもを育てる親の思い、それを取り巻く文化的な環境の違いについても考察しています。グリンカーの調査では、韓国では自閉症児が反応性愛着障害(RAD)と診断されることがよくあると言います。韓国の臨床家の中にはRADという表現を好む人が多いそうです。米国では、自閉症児をRADと誤診する例はほとんど耳にしないとも述べています。日本は、どちらかというと、韓国と文化的に近いためか、自閉症かRADかという議論をしばしば耳にします。どう鑑別したらよいのかという日本の臨床家からの質問が海外の研究者に向けて質問される場面に、私は何度も遭遇しています。興味深いことに、質問を受けた先生方は一様に、質問の意味がわからないと困った顔をし、それらは別物だと簡単に答え、その場が終わっていました。私自身も、どういうケースで鑑別に迷うのか、逆に知りたいとおもうくらいです。いずれにしても、自閉症児をRADと診断したり、単に「愛着障害」と呼ぶことで、その責めは母親に向けられてしまい、前向きな治療に繋がるとは思えません。
子の障害は児童虐待のリスクなのは事実です。そしてマルトリートメント、とくに乳児期のネグレクトは発達障害の有無にかかわらず、愛着障害の発症に影響をすることは研究から示唆されています。が、マルトリートメントの結果、愛着が育たず、発達障害が発症するというロジックは北欧の双生児研究で否定されています。ところが、発達障害、マルトリートメント、愛着といった別々の問題に根拠のない関連づけをしがちな風潮は、どうも日本だけではないようです。愛着の専門家の間でも深刻な事態だと問題提起がなされています。

自閉症を取り巻く今日の社会の変化

軽度の発達障害に対しても社会の気づきは高まり、今ではたくさんの発達障害のある子どもたちが世界中にいます。現在、診断名はASDやADHDなど、重症度と関係なく付与されますので、見かけ上、診断が増えていますが、実際には、増えているのは軽度で、幼児期に診断が見逃されていたケースが後になって診断を受ける場合だという報告もあります。過剰に診断が増えるのは、それはそれで新しい課題ではありますが、これまで光が当たっていなかった支援ニーズが明らかになったという点で、歓迎すべきことはたくさんあります。グリンカーは、こうした可視化された課題に、コミュニティや親団体、財団はすばやく対応するようになったと述べています。今日、大学や大学院の講義だけでなく、若手研究者や一般向けの講演会でも発達障害を取り上げると、多くの参加者が集まります。それだけ社会の意識は変わってきました。「自閉症のある人たちは愛情に乏しいというのは、20世紀半ばの精神科医による作り話」とグリンカーは言います。日本でも、その昔、目が合うから、人に甘えるから自閉症という診断は誤りだ、と主張する精神科医や専門家は少なくない時代もありました。グリンカーは、自閉症の娘イザベラを通して、人生にはたくさんのカーブがあること、社会生活の最も基本的な事柄についての思いこみについて気づかされたと書いています。身近に自閉症の人がいれば、そういう発見ができる人も増えていくのではないでしょうか。グリンカーはこうも言っています。「自閉症のあるこどもがいると、人はなしうる有益な可能性について、より創造的に考えるようになるのです」と。

さいごに

日本には課題はまだまだ大きいです。国や行政が解決しなくてはいけないこともたくさん残されています。なにせ対人コミュニケーションに困難があるのが自閉症ですから、それに関しては周囲が理解をもって、適切に教えて育てていかないといけません。イザベルは、高校で初めての教師に次のように自己紹介したそうです。“My name is Isabel, and my strength is that I have autism.” なんて素晴らしい娘さんに育ったのでしょう!そう思えて、そのように人に伝えることのできるようには、自然とは無理です。そう思える毎日の生活の積み重ねがあったからこそ、彼女はそれを言葉にできたのでしょう。
グリンカーは、この本の最後に、「思慮深く献身的な市民による小さな団体が世界を変えられる」というマーガレット・ミードの言葉を引用して終えています。日本の親たちが必要な支援を、もっと早くから、もっと身近に、もっとていねいに、もっと長い期間、受けられるような社会へと私たちも小さな努力をしていきたいと思います。

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