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「52ヘルツのクジラたち」を読んだ


美晴がずっと救いだったな。

物語の暗闇には色んな光が差したけど、美晴のそれの確かさって、燈〜とか照らす〜とかいう光量じゃあとてもなくて、導き!!!!!!という強い引力が目に見えて、素直で真っ直ぐで、腹を括って決断することができて(それがちゃんと大切な人たちを想うことになっていて!)羨ましかった。美晴の言ってること、ずっと正しく思えちゃってすごかった。


アンさんの居るところから、光は見えたのかなーと思うと。

魂の番に出会えることだけを希望にしてしまうと、あまりにも現実はやるせないから、例え52ヘルツの声が聴こえる相手じゃなくても、52ヘルツを打ち明けることができて、静かにわかっていてくれる人がいるだけで救われることもきっとあると、信じたい。



最近腰を据えて、じっくり考えることに欠けているなぁと感じることが多かった。何か分からないことがあれば秒でOK!Googleだし、考えたり納得したりする過程に没頭がかなり乏しくなっちゃってるな〜という自覚がありました。何事も片手間過ぎている。

誰かの為を思って、良かれと思ってやったこと。担任の先生の浅はかな配慮もそうだし、主悦とアンさんを引き合わせた貴瑚のセッティングもそう。
物語として第三者の視点で見ているから見えてる歪みも、実際に自分が当事者だったら……呼吸が浅かったり視野が狭くなっちゃってたら……やらかしてしまってることにすら気付けないかもな〜と思ってちょっと怖かった。

だからこそなりふり構わない美晴の瞬発力が正しい方に進んでいくように見えたのがが眩しかったのかも。わたしは美晴みたいな友だちが欲しいというより、美晴みたいになりたい…と思ったりした。

事情や背景は抜きにして、全てを捨てて海の見える家に越してきた貴瑚の自分との向き合い方に真似できないからこそ純粋に羨ましさを感じたところもあって。
というのもなんか泊まれるお寺があるらしくて(←雑すぎ)生きるために必要な食事だけを摂って、粛々と時を過ごす体験(をお金払ってすること)に興味があった最近だったので、まぁどこでどう過ごすにしろ、本質を見つけて考えたり、瞬発力のある決断をしたりしていくということは目指していきたいなーと思った。一体これはなんの話だ?


作中に、世の中の課題が内包され過ぎてて、私なんかが語ったら薄っぺらいな〜と思っちゃった時点で既に考えることから逃げてることに気付いて、恥ずかしかったです。




PS.心情とか状況の描写で出てくる比喩が好き角度の言葉たちで結果付箋まみれ。これを機に、読みたいリストに入ってた「夜空に泳ぐチョコレートグラミー」も読むぞ!

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