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「スター」を読んだ


「誰かにとっての質と価値は、もう、その人以外には判断できないんだよ。それがどれだけ、自分にとって認められないものだとしても。」

p.371

当たり前なんだけど、いやそうなんだよ〜と思った。改めて。
自分の大切にしたいものを大切にしようとするとき、他の誰かを否定して切り捨てようとしたところで何も守れてないぞ!、というのはここ数年つくづく感じてきたところだったので。


そういう千紗の言葉に"共感"して、ページに付箋を貼る私。友人のツイートに"わかる〜"と思って、いいねする私。対話することや議論することに重きを置いている、千紗や尚吾に響くところがかなりある。それも共感共鳴をかなりベースにしている辺り、オタクの友だちほとんど同担なところにも所以するなーと思ったり。


これはSNSの普及と共に歳を重ねてきた世代の人間の感覚から紡ぐ感想だと思って聞いて欲しいんだけど、SNSで切り取っているのはあくまでも私の一面で、140字(一応)に詰め込むのって、思考の一角じゃないですか。
そうは書いてても、そうは写していても、そこに至るまでの思慮があって、余白があって、言ってることだけが全てじゃないし……っていうそういうところを汲み取りきってもらえないことの多いSNS大海原時代を厄介に思う自分がいたので、自分の思うコンテンツのいいとこ取りできる在り方というのは絶賛模索中であります。


あるものが、ないように

p.137

そこにあるものをまだまだ突き詰められるのに、忙しなさに負けて見て見ぬふりしてしまうようなことが最近の自分の仕事ぶりにも通じるところがあったので、イテテテ〜となったりした。少なからず好きを仕事にする時の、プライドの守り方とワークライフバランスの調和って結構むずい。

仕事であれ趣味であれ、一瞬や一言にこだわって吟味できればそんなに素敵なことはないとわたしは思うけど、現代人なんかずっと時間ないし、手元にいっつもスマホあるけど、集中しなくても脳みそ直結で楽しめるようなコンテンツに寄り添われていくのはなんか悔しくて、付き合い方は自分なりに線引きをしているつもりで。

お金で時間を確保できる環境買って、深ーーーく考えたりどこまでも没頭して作業したりしたいときもあるし、時間無限列車編みたいなマインドで仕事と向き合う時期だってあるけれど、限られた時間の中でも、どこに届いても恥ずかしくない生産をするための、取捨選択の腕は磨いていきたいね〜って、思ったりしました。


"自分なりの答えを見つけた"っていう点で、尚吾や紘のラストはかなり眩しく見えたけど、そりゃ二人みたいに誰もがなれる訳じゃないけど、スマホばっかり観ててもなれる訳じゃないし、だから自分は色んなものに手伸ばして新しい場所に足運んで、本物に触れて自分の心の動く瞬間を大事にするという方法で、私なりのスターの輪郭を鮮明にしていけたら良いな〜なーんて。


SNSのお陰で、それぞれの星が時に離れたり絡まったりしながら、共感共鳴して、そして論議しながら、生産していくことを豊かに感じられるお友だちに出会うことができまして、この度共読という体験をさせてもらったわけで!機会が無ければ手に取ることは無かったであろう本書から、最近の自分のモヤモヤを言語化してもらえた気がしてなんかハッピーでした!読書感想文も書いて出し!だけどきっとこれはこんなもんで良し!これぞSNSの良いとこ取り!



てか共読を楽しむ感覚って、オタクの夏松竹感想ブログを読み漁るのが大好きな気持ちと似てるのかも!!!!!!!という気付き。


現場からは以上です!

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