歴史の「兆し」
中国人民の不満が爆発しそうなこのタイミングで、江沢民が死去。
江沢民は、天安門事件の後に国家主席になり、今の独裁体制と覇権主義の基盤を築いた張本人だ。
天安門事件では、ウイグル人のウーアルカイシが指導的な役割を果たしたけれど、今回は、ウイグルでの事件が発端で、全国にデモが広がっている。
江沢民に白羽の矢を立てた鄧小平は、自らが文革で悲惨な目に遭ったトラウマから、天安門に集まった若者たちに紅衛兵を重ねて、ヒステリックな弾圧を行なったといわれる。
習近平も文革では下放されて、大衆運動を憎悪しているといわれる。
歴史の大きな転換点には、兆しのようなものが射すことがあるけれど…これは。
天安門の時は、中国人の友人があの現場にいた。そして、虐殺を目の当たりにして、ウーアルカイシと同じように祖国を捨てた。
彼女は、今、どう思っているだろう。
ふと、『芙蓉鎮』をまた観たくなった。
あれは、文革の理不尽をインテリの観点から描いていたけれど、権力に復帰した彼らのその後は描かれてはいない。
あのインテリたちの一人が鄧小平だったわけだし、また習近平だったわけだ。
ポピュリズムkの狂気を経験した彼らが、それを憎悪し、大衆に権力を持たせてはいけないと肝に銘じた結果が、今の中国だとしたら、いったい、何を目指せばいいのか?
文革のトラウマとその反動は、『神なるオオカミ』によく著されていた。
今の中国指導層のメンタリティを知るのに、この本はおすすめ。