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不老不死へ向けて?

"Life Span -老いなき世界-"

 「老い」を生命にとっての究極の「病い」と捉えて、そのメカニズムを徹底的に追求していく。遺伝子工学、分子生物学の最先端と、それが、すさまじい勢いで進歩するコンピュータサイエンスに下支えされていることが良くわかる。

 著者のデヴィッド・A・シンクレアは、老化を止め、それを逆転させる技術が安価で当たり前のものになり、富裕層や権力層に独占されるのではなく、当たり前のものとして万人に行き渡る世界を目指す遺伝子工学者だ。

 そこにあるのは、徹底した楽観論と肯定主義。それは、清々しいともいえるほどで、こちらもそれに引っ張られて、人類の明るい未来を疑問を持たずに信じてしまうほどだ。

 そこでふと感じたのが、最近のユヴァル・ノア・ハラリの思考の方向がまったく同じであるということ。彼は、コンピュータサイエンスの側面から、いずれ人類はコンピュータとの融合を果たし、「ホモ・サピエンス」から「ホモ・デウス」に「進化」すると、やはり肯定主義とも言える未来論を展開する。

 両者は深い知性と分析力でも共通していて、その主張は疑問を差し挟む余地はほとんどない。

 でも、微かな居心地の悪さを感じさせる。

 それは、彼らが、いわば「西洋的」ともいえる、機械論、行動主義の視点で世界を見渡しているからなのかもしれない。

 シンクレアと同じ分子生物学、遺伝子工学の先駆者ともいえる多田富雄は、同じ分野のテーマをまとめた「免疫の意味論」「生命の意味論」で、ただ機械的にそのメカニズムを掘り下げるだけでなく、どうしてそういうメカニズムを帯びるような形で生命は進化してきたのかを根源的なテーマとして考察していく。

 多田のスタンスを「東洋的」とすれば、シンクレアやハラリの「西洋的」な知性に欠けている何かが、強く感じられる。

 多田は、能に傾倒し、自分でも新作能の台本を書くような人で、ロジカルに表現できない「幽玄」「夢幻」というものの存在を強く感じ、それを自分の研究にも取り入れた。

 凄まじい勢いで、科学技術が進歩している中で、科学哲学や倫理のあり方も重要視されてきているが、多田が示したような、ロジックだけでは説明し難い「何ものか…東洋的感性とでもいえばいいのかもしれないが」を意識することが一番重要ではないかと感じる。

 しかし、「歳を経て積み重ねてきた知性と知識を、若い肉体と精神に融合できる未来が、すぐそこに来ている」というシンクレアの主張は、悲しいかな、たまらなく蠱惑的だ。

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