知識の記録方式 (98) 挑戦
挑戦は誰にもできる。それをやり遂げることは誰にもできることではない。
一言で挑戦と言っても、その難しさはさまざまである。
ここで、述べたいことは諦めないということだ。
私は知識の記録方式ということをライフワークとしている。
何社かの企業と連携したこともある。しかし、企業の方針はすぐに儲かるか?という点になってしまった。
ならば、自社だけでやり遂げることと決めた。
長く継続した研究は先行者優位である。世の中にすぐに受け入れられることは面白くない。
気合いだけを入れてこの研究に没頭してきたのである。
そこにはGAFAの巨大化が私達の自由度ある時間を奪っているのではないかとの仮説を持ったからである。
SNSが登場してからのITの方向性は変化してしまった。
でも、それは自転車や自動車のように使わざるを得ない存在となってしまった。
結局は、調べたいこと、知りたいことを獲得できるスピードが速いからである。
挑戦は諦めないてはいけない。遠藤周作先生の生活と人生の話が頭から離れない。
砂の道を歩きたいと常々思っている。自分を振り返った時に、足跡を残したいのである。
アスファルトの道を歩いていたなら、振り返った時に足跡が見えない。そんな寂しい生き方で良いのかと。
生活が安定していれば、チャレンジーとして足跡を残せることに取り組めるだろうと思う。
そこで、別の意見もある。自分の代でできなければ(時間が足りないならば)、子供に引き継げば良いのだという意見である。
挑戦したい事が実現が難しくても、諦めずに、子供にバトンタッチするつもりで取組めば良いのだと改めて思う。
私達がどうしようもできないことは時間の刻みである。だからゆえに、諦める事になっている。
挑戦をやり遂げるために、お金やその他のことが不足するなら、そこで挑戦を止める事なく、時間の経過を先送りして子供に委ねれば良い。
このように、挑戦に頭を使い続けることは人生において一番重要なのではないかと思う。
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