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「弱い」ホモ・サピエンスが「強い」ネアンデルタール人に勝った話

ある日、5歳息子にNHKスペシャル「人類誕生」の予告編をYouTubeでチラッと見せた。

すると彼がいたく興味をもったのでNHKオンデマンドに加入して全編を一緒に見ることにした。

https://youtu.be/vOi2nZbGhWM?si=RfKrHAgzimLm18jb

息子は途中で飽きてレゴブロックで遊びだしたが、父(僕)はあまりの面白さにぐいぐいと引き込まれ、息子そっちのけで夢中になって見ていた。

特に面白かったのが、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の話である。この2つの人類は一時期、同じ時代を生きていたそうだ。

2つの人類の違いを簡単に言えば、ホモ・サピエンスは弱っちくて、ネアンデルタール人は強かった。骨格や肉体、身体能力的には、普通にタイマン勝負すればネアンデルタール人のほうが圧倒的に強かったレベルで差があった(とまでは番組では言ってなかったけどそういうニュアンス)。

その情報をもとに普通に考えれば、現代のアフリカ・サバンナなんか目じゃないレベルの超絶過酷な野生時代で生き残るのはネアンデルタール人のほうだと思うだろう。

でも、実際は違った。

生き残ったのは弱っちい我々ホモ・サピエンスのじいちゃんばあちゃんたちであり、屈強なネアンデルタール人は「絶滅」したのだ。

なぜか?――

この答えを聞いて僕はハッとした。

答えは、ホモ・サピエンスがコミュニティを形成して生きていたからである。

ネアンデルタール人は少数でばらばらに散らばって生きていたらしい。一方でホモ・サピエンスは比較的大人数でコミュニティをつくり、肩を寄せ合って生きていた。きっと弱っちいから本能で自然にそうなったのだろう。

そうすると何が起きるか。

たとえば、狩猟に使う石や木の道具があるとする。これをコミュニティ内の誰かが使ってみて、

「今日、あっちの野原で狩りしたんだけど、でけー熊みたいの狩ろうとしたときに気づいたんだ。ここにヒモつけてぶん投げたほうが威力増すんじゃね?ってさ」(※話の内容は想像)

と提案する。すると大人数のコミュニティ内では活発な議論が巻き起こる。

「確かにそれはいいかもな。おまえ天才だな」
「いや、ヒモよりもここに木の棒つけたほうがいいんじゃねーか」
「いやいや、とにかくこの先っぽを尖らせたほうがいーだろ」

と、ホモ・サピエンスは喧々諤々で議論する(きっと)。そして彼らのコミュニティの近くにもホモ・サピエンスの別のコミュニティがあるため、そこにも進化した狩猟の道具が届き、またそのコミュニティ内で喧々諤々の議論が巻き起こり、さらなる発展を遂げていく。

その結果、狩猟の武器は年月が経てば経つほどブラッシュアップされていき、RPGゲームのごとくレベルアップを繰り返し、ホモ・サピエンスが使うのは「ただの石ころ」から「最強の武器」へと進化、変貌を遂げる。

AIの学習機能のような話だ。

一方のネアンデルタール人はと言えば少数でちまちまと暮らしているため、コミュニティ内でのブラッシュアップは行われない。いつまで経っても同じ武器を使っていて、進化しない。

この結果、旧態依然を良しとするネアンデルタール人は過酷な環境に屈し、滅び、ホモ・サピエンスは生き延びた。そして現代の我々へと命のラインはつながっていく。

ちなみに、現代人の我々のDNAの中にもネアンデルタール人のDNAが数パーセントと少しだけ含まれているそうだ、アジア人の大半も。2つの人類で恋をして、子孫が生まれていたなんて、なかなかにドラマティックな話である。

話が脇道に逸れてしまったが、僕はこの話を聞いたときにハッとした。

自分も10年間、独立して1人で会社をやってきて、「ネアンデルタール人になってないか?」と。この番組を見てから僕は意識的に、積極的にいろいろな人に会って、相談をするようにしている。そうすると改めて僕のまわりには、この「ほぼ毎日note」の一発目で書いたように、素敵な人たちがたくさんいることに気づき、感謝するようになった。

こんな風に父親の意識改革、行動変容をもたらしてくれた5歳息子にも大感謝である。彼はホモ・サピエンスやネアンデルタール人よりもレゴブロックのほうに夢中だったが、いつか改めて見てほしいと思う名作だ。

NHKオンデマンドは凄い。そうそう、僕は大学4年のときにNHKに入りたくて最終面接まで行ったが落ちるという辛い経験をして…………こんな話を延々としていくといつまでも終わらないので今日はここまで。

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