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「一期一会カタリバ横丁」  4人目の客人 ロベルト・杉浦さん(タンゴ歌手) 〈歌っているときは”名前のない炎”でしかない〉

今回の「ゲスト」

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ロベルト・杉浦(ろべると すぎうら)
1970年、名古屋生まれ。中学生の頃にラテン音楽のレコードに聴き入り、アルゼンチン・タンゴに魅了され、タンゴを歌いはじめる。大学在学中の19歳でタンゴ歌手としてプロデビュー。22歳で言語もわからない状態のまま単身アルゼンチンに渡り、タンゴの本場で歌手活動をスタート。その後、タンゴの大歌手、ロベルト・ルフィーノに実力を認められ、「ロベルト」を与えられる。南米を中心に活動を続けるとともに、40歳でビクターエンタテインメントから日本でもデビュー。現在は歌謡曲も歌いながら、日本にラテン音楽の魅力を伝える活動をしている。

カタリバ横丁の「ホスト」

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パリなかやま
ギター流し/流し歌手。2008年、亀戸横丁で流しデビュー。2009年、恵比寿横丁流し参入。平時は恵比寿横丁にて20時~平日中心に営業。コロナ禍はオンライン流し展開中。ほか有楽町、新橋、吉祥寺、溝の口などの街とも提携。レパートリーは昭和から平成、演歌からJPOP、洋楽まで含め2000曲ほど。大抵のことは笑顔でこなすピースな流し。出張の流しでは冠婚葬祭、同窓会、送別会、あらゆる催しに対応。場所は野外、個人宅、屋形船、温泉宿、喫茶店、場所を選ばずオンデマンド。2014年書籍「流しの仕事術」を代官山ブックスより発売。平成流し組合代表。現在流し50名程活躍中。https://www.nagashi-group.com/

その他_音楽歴等
2004年 日本クラウンより「人生に乾杯を!」でメジャーデビュー(コーヒーカラー名義)

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飛鳥とも美(あすか ともみ)
演歌歌手、流し見習い。座右の銘は「死ぬこと以外はかすり傷!」。2013年6月、ビクターより「あなたに決めました」でデビュー。2014年、「日本作曲家協会音楽祭」奨励賞受賞。2015年11月には、台湾にてミニアルバム「大家好! 我是飛鳥奉美。」を発売、台湾南投縣観光親善大使としても活動開始。2017年、三重県津市を舞台とした″レ・ロマネスク”の「津の女」をカバー、2018年6月に、新曲「絆道 -きずなみち-」を発売し、現在 精力的に活動中。

なぜタンゴを歌うのか? その魅力とは?

パリ みなさん、こんばんは。今夜のゲストは南米で活躍しているプロタンゴ歌手のロベルト・杉浦さんです。僕は20代後半からの付き合いなんですが、飛鳥さんもロベルトさんとは以前からの知り合いなんですよね?

飛鳥 そうなんです。私もロベルトさんもビクターエンタテインメントに所属している関係で、初めてお会いしたのは2012年の頃ですね。

杉浦 お二人とも、今日はよろしくお願いします。

パリ はい、今日は3人とも知り合いという初めてのパターンのカタリバですね。では早速、ロベルトさんに質問です。ずばりタンゴの魅力とは何ですか?

杉浦 私はなぜタンゴを歌うのか。タンゴは「貧しい家庭で生まれて、泣きはらした母の瞳を見てきた。俺は決して実のなることのない木だ。タンゴには人生の匂いがする。そして死の味がする。私が女を愛するとき、血が出るほど愛する。しかし誰も俺のことを愛してくれなかった。だから俺はこんなに悲しく歌うんだ」みたいなものがビンビン来るわけですよ。

飛鳥 心の中にあるいろいろな情熱をタンゴによって放出することができたり、青春を表したりすることができたんですね、きっと。

杉浦 そう。青春を表しており、また、世の中の矛盾や混沌、建前じゃない真実を表しています。タンゴの歌詞には「不条理」という言葉がいっぱい出てきます。

パリ タンゴの歌詞が重要だったということですか?

杉浦 いえ、そういうわけじゃないんです。タンゴ歌手は歌詞を解釈するのが好きな人が多いんですが、僕は歌詞をいちいち理解するんじゃなくて…。

飛鳥 フィーリング、感じるもの?

杉浦 そう、感じるだけですね。前奏がはじまるとすぐにその世界に入っちゃって、その中で感じるままに歌うんです。自分が感じているときは聴衆に自然と伝わるし、歌っている間は「無」なんです。時間感覚もなくて、気づくと3時間が経ってたり。

パリ 音楽がはじまった瞬間に世界が現れるような感じなんでしょうね。そうか、ロベルトさんが最初にタンゴを聴きはじめたのは10代だから、当時はタンゴの歌詞のスペイン語が理解できたわけではないですよね?

本場で歌いたいとアルゼンチンへ単身渡る

杉浦 中学生の頃に叔父の影響でタンゴのレコードを聴くようになったんですが、当時はタンゴの翻訳歌詞集やタンゴ雑誌の「中南米音楽」というものがあって、よく中古を買ってたんです。そこにはタンゴの翻訳の歌詞がたくさん載っていて、日本で販売されているタンゴのレコードには対訳もついていたから、照らし合わせて理解していました。

飛鳥 タンゴのレコードはどこで買っていたんですか?

杉浦 東京と大阪に計3軒、マニアックなレコードを輸入販売しているレコード店があったんです。まだバブルでレコードの需要があった時代でしたから、そこに電話でお願いして、発送に3カ月ぐらい待って、ようやく届くというね。今みたいにYouTubeですぐに聴けるわけじゃないから、お金も時間もかけて、ありがたみが凄かったですね。

パリ そうでしたよね、わかります。それからタンゴを歌うようになり、19歳で大学在学中にタンゴ歌手としてデビューして、22歳で言語もわからない状態で単身アルゼンチンに渡った、と。なぜ、アルゼンチンへ行こうと思ったんですか?

杉浦 タンゴのレコードやCDのジャケットに写真がありますよね。その写真を見ると、その国をイメージすることができて、「僕もここで歌いたい」と思うようになったんです。そのイメージが匂いを感じるぐらいリアリティあるものになると、もう待ってられないんですよ。とりあえず行こう!となるわけです。

飛鳥 凄い行動力。

杉浦 当時、僕は日本でタンゴ歌手として活動してましたけど、日本では歌詞がスペイン語というだけで聴こうともしない雰囲気があって、拒絶反応が凄かったですね。「僕の居場所は日本にないな」とずっと思ってました。

パリ アルゼンチンに単身で渡って、最初はどこにアプローチをしたんですか?

杉浦 日本によく来ていたアルゼンチンのミュージシャンを知っていたので、その人のアパートに住まわせてもらいました。名ヴァイオリニストのエドワルド・マラグワルネーラさんという方です。それからは売り込みのために、さまざまなステージで歌っていました。

飛鳥 それからスカウトにあったんですか?

タンゴの第一人者、ロベルト・ルフィーノさんとの出会い

杉浦 そうです。売り込みのときは無料で出演して、認められるためにとにかくどこでも歌っていました。僕にとっては1曲どこで歌うにしても、全てが「闘い」なんですよ。

飛鳥 闘い、ですか?

杉浦 自分に対して納得がいくレベルでちゃんと歌えたか、それを聴衆に示すことができたか、という闘いです。その場所で誰か1人でも「こいつ日本人で凄いなと」と思われれば、そこからスカウトだったり、仕事の話がはじまります。だから最初は1人の孤独な勝負でした。

飛鳥 20代前半で、言語もまだしゃべれないアルゼンチンで孤独な闘いに明け暮れていたんですね。

杉浦 はい。その後、28歳のときに私に名前をくれたロベルト・ルフィーノさんとの大きな出会いがありました。ルフィーノさんは1930年ぐらいから亡くなるまで、第一線の大物タンゴ歌手として活躍した方です。

僕に多くの機会を与えてくれて、家に遊びに行って歌について話したり、彼なりのテクニックの話を教えてもらったり、発声のことも何も学んでなかったから発声の先生のところに連れて行ってもらったり。ルフィーノさんとの出会いで歌をちゃんと学ぼうと思ったんです。

飛鳥 ルフィーノさんからはどんな教えがあったんですか?

杉浦 ルフィーノさんに限らずですが、マエストロ(巨匠)と呼ばれるタンゴ歌手と一緒にステージに上がり、いろいろなことを教えてもらいました。僕は14歳からタンゴを聴いているから体の中にタンゴのリズムが入っていて、あらゆるスタイルを知っています。だからタンゴを学んだことは一度もないし、それでいて本場アルゼンチンでも歌自体に何かを言われることはあまりありませんでした。

飛鳥 それも凄い話ですね。

杉浦 ただ、「発音」はよく注意されました。ボレロの歌手は優しくて、どんな国のなまりがあっても「ブラボー」と褒めるけど、タンゴの歌手は「文化を汚すのは許さん」という厳しさがあったんですよね。

飛鳥 確かに言葉は大事ですよね。歌詞が主役なわけで、歌詞が伝わらなければ物語が成立しなくなっちゃいますもんね。

歌っているときは「名前のない炎」でしかない

杉浦 そうなんですよ。あるタンゴの歌を歌ったときにマエストロに楽屋に呼ばれて、「君はうまく歌ったけど、悪い発音をした」と注意されました。本来の歌詞は「彼女は私に3年間も話すこともなく、私を孤独のまま放っておいた」という内容なんですけど、発音が悪いから「彼女は扉を3年間も開けない」という意味になっていて、「全く違う」と言われて。

飛鳥 そんなに違っちゃうんだ。

杉浦 本当に些細な発音の違いなんです。でも、これだけ意味が変わってしまうんだと、厳しくも愛情をもって教えてくれました。ステージが終わると毎回楽屋に呼ばれて、「今日はここが…」と、みなさんにかわいがってもらいましたよ。

パリ 1曲1曲が勝負という話がありましたけど、ロベルトさんはミュージシャンとして全体でキャリアを考えるというよりも、毎回“その瞬間”を大切にしてきたんですね。

杉浦 そうですね。哲学的に言うと僕は「炎」が好きで、自分が歌っている瞬間はまさに燃えている状態です。過去、現在、未来、ずっと燃え続けていて、現在の瞬間しかない。これが生きている魂のようであり、歌っている瞬間は炎をずっともっている感じです。だから、歌は、リズム、楽譜、歌詞など、理屈じゃないと思っているんです。

飛鳥 歌は理屈じゃない。

杉浦 言葉にできないものを伝えたいからこそ歌をやってるんです。国、人種や文化を越えて、その国の文化に同化して、その人たちのものを歌うことによって共感しあって、喜びと音楽の背景にある感動と歴史を共有して、ブラボーと言ったり。

その行為は、自分は人間であるというよりも、歌っているときは「名前のない炎」でしかないんです。同じ人間として「こういう感情があるだろう」というものを伝えたい。だから言葉にあえてしないものが伝わると経験上わかっています。だから細かい歌詞はどうでもよくて、言葉にしないほうがいいことが多いです。

歌詞を超えて感じることができるのが音楽

杉浦 僕は理屈が嫌いなんです。南米はそれが特に伝わるんですよね。「この人、今こう考えて、こう表現しようとしてるな」というのが聴衆にバレるんです。そうなると場がしらけてしまう。

だから南米の一流ラテン歌手は、歌詞を超えて、感情、情念、言葉にできないものの中で歌っているわけです。これがラテン音楽の感じ方です。ここが日本の歌謡曲、演歌と違うところかな。日本の歌、特にフォークソングは歌詞をしみじみと歌いますよね。南米は逆なんですよ。

飛鳥 歌詞を超えて感じることができるのが音楽ということですね。

杉浦 そうですね。音楽は人間にとって必要なんですよ。今、パンデミックで世界中が喧嘩、対立してますよね。それは「言葉」から発生していて、お互いのポジションの対立ばかりじゃないですか。でも音楽はそこと反対のところにあるんですよ。最近はコロナでイベントがNGになって、人々が一緒に繋がるものがなくなり、「音楽は終わった」とよく言われるが、そうじゃない。

飛鳥 うんうん。

杉浦 音楽、特にライブの価値はむしろ上がったと思っています。みんなオンラインの音楽にうんざりしているから。

パリ 反動が来ますよね。

杉浦 やっぱりライブとは違いますよね。「気」というのは絶対にあって、僕はステージ上で気を出してるんです。ライブ後に夜に眠れなくて睡眠薬を飲むのは、1億パーセント集中して過剰な気を使っているからで、そうすると聴衆に伝わらないはずがないんですよ。

飛鳥 わかります。歌手は聴いているたくさんの方に対して1人のエネルギーで対応しないといけないから、本当に凄いエネルギーを使いますよね。私も担当プロデューサーから「言葉があって、メロディーがあって、それが人に伝わるんだけど、それ以上に”伝われ”、”聴いて”と思って歌いなさい」と言われてきました。

杉浦 その気持ちは大事ですよね。一番やっちゃいけないのは”逃げ”の姿勢です。お客さんはどうせ聴いてくれないだろうという自己防衛は絶対ダメですね。1回1回、幅の狭い吊り橋を渡るつもりで臨み、雰囲気が盛り下がったら全部私の責任という覚悟です。

自分が昔からやってきたものは根が深い

飛鳥 そのスリリングな感覚もまた気持ちいいんですよね。今はライブができないので、こうやってライブ配信をやってますけど、これも凄いエネルギーを使うから最初は疲れました。

杉浦 やっぱり人が見てくださるから。

飛鳥 こういうライブ配信の機会がなければ、私は本当にやることがなかったんです。でも、パリさんの「オンライン流しをやる」というひと声で、今までやらなかった曲も勉強して。私が信じているのは「伝われ」と思っていると、ライブではなくデジタルでもこの思いが誰か伝わるということです。

パリ 僕らはオンライン横丁で流しをはじめましたが、ロベルトさんは今後はこういう活動をしていきたいというのはありますか?

杉浦 聴いてくださるお客さんがいれば、そのお客さん好みのところに好みの歌を歌うというだけですね。歌謡曲だったら歌謡曲のスタイルなど、声の使い方が違うんですよ。タンゴとボレロの表現の仕方も違うから使い分けがありますが、どれが良い悪いというわけではありません。音楽を自分という存在を言葉にできないものを介して繋がって共感しあえるものとして考えているわけです。

飛鳥 うんうん。

杉浦 だから僕にとってジャンル分けはそんなに意味がなくて。ただ、自分のアイデンティティになっているものは何かと言ったら、小さい頃から体に刻まれてきたタンゴは強烈だなと思いますね。原点があぶりだされてきますよね。

パリ このパンデミックでタンゴ熱がさらに盛り上がったということなんですね。

杉浦 自分でもまさかこうなるとは思わなかったですね。自分が昔からやってきたものはやっぱり根が深いですね。

パリ なるほど。ある種、純粋化してきたんですね。表現の話がありましたけど、杉浦さんが面白いのは名付け親のタンゴの大歌手であるロベルト・ルフィーノさんの歌い方の真似はしてないんですよね。歌唱としてはあまり影響を受けてないというか。

南米では独自のスタイルをもたないと「モノマネ歌手」と言われる

杉浦 タンゴは面白いところがあって、誰かの歌い方を真似ると「モノマネ歌手」と言われるんです。きれいに歌う人は「歌が素晴らしい、ただそれだけだ」と。つまり、タンゴは自分のスタイルをもってないと認めてくれなくて、この曲と言ったら彼だよねと言われないといけないんです。南米はその人のスタイルがないと評価されません。

飛鳥 南米では自分のスタイルをもつことが大事なんですね。

杉浦 日本の歌謡曲も真似をする必要はないんですよ。ただ、日本的な美学があって、確かに日本人はラテン系の人とは違う聴き方をしますね。

パリ それで言うと角田忠信著『日本人の脳』(大修館書店/https://allreviews.jp/column/1777)という本がありましてね。日本人は母音を左脳で処理していると、科学的実験で証明されてるんです。一方、西洋人は母音を右脳で聴く、つまり感情的な声として捉えているんですね。

杉浦 おっしゃる通り。よくわかります。

パリ だから日本語で育っちゃうと母音は全部「言葉」になるから、歌詞がある限りは必然的に歌うときも言葉の声で歌わざるを得ないんですよね。ここが歌で世界的に日本人が不利、というか評価されにくい原因にもなっていると本を読んで思いました。

飛鳥 日本語の発音は不利というのはよく聞きますよね。

杉浦 不利です。今、仲山(パリ)さんがおっしゃったことはものすごく腑に落ちますね。それこそコオロギの鳴く音を西洋人が聞くと、日本人と捉え方が違うんですよ。

パリ そうそう、まさにそういう話です。

杉浦 ラテン系の人は全員、母音を感情で聴きます。だから、母音に感情と魂を込めるんです。高い音が好きだから、高音を出すだけでも拍手が湧いて。母音に対する捉え方、文化が違いますね。

パリ だから日本人でも大成した、飛びぬけた歌手は、「感情の部分」を必ずもってますよね。感情で歌うというところもちゃんと混ぜている人じゃないと、絶対に上にはいけないと思いますよ。

杉浦 たとえば森進一さんの「おふくろさん」とかね。

パリ そうです。CHAGE and ASKAのASKAさん、玉置浩二さんにしてもそうだし。

杉浦 ASKAさんはチャゲアスの時代を知らないんだけど、あの人は凄いね。才能と言えばそれまでだけど、「YAH YAH YAH」を彼が歌ってるだけでグワーッと来るものがある。

日本の歌謡曲は原曲の音色を守ることが求められる

飛鳥 生まれもっている声の響きもあると思うし、いろいろなものが重なりあって、組み合わさって、塊になってドカーンと来るのかもね。”違い”で言うと、演歌、歌謡曲、ボレロ、タンゴ、どんな風に違うんですかね?

杉浦 たとえば、シャンソンやジャズをやっていた人がアルゼンチン・タンゴを歌っても、どれだけやってもタンゴにならないというぐらい、タンゴは難しく、癖のある、うねりのあるリズムなんです。他のジャンルの人がタンゴ歌うとすぐわかるんです。一方、ボレロは誰でも歌えて、自由なところがあります。

飛鳥 そんなに違うんですね。

杉浦 ボレロは限りなくバラードに近いんでうしょね。キューバで生まれて、スペイン語で流行ったバラードと思ってもらったらいい。日本の歌は規則性がなくて、生まれもった持ち声をどうやって使うか、生まれた人の声に合わせて作曲したパターンが多いですよね。

飛鳥 確かに歌謡曲的なものはそうですよね。

杉浦 タンゴは「彼で有名になったけど、彼の曲じゃない」という曲がほとんどなんですよ。日本だと「はしご酒」だったら「藤圭子さんの歌」と、歌手と曲はいつも一緒で動くわけです。それが日本の歌謡曲や演歌の難しいところですよね。だから私は「美空ひばりの悲しい酒を歌って」と言われると困っちゃうんです。

パリ 南米のタンゴだったら「自分のスタイルをもたないとダメ」というのとは逆で、日本では「原曲の音色を守らないと認めてもらえない」ということですよね?

杉浦 そうです、苦労しましたね。日本の歌ものは難しさがありますね。

飛鳥 面白いですね。いろいろな音楽のジャンルがありますけど、パリさんが最初に影響を受けたジャンルは何だったんですか?

パリなかやまが流しにハマった理由

パリ これと言ってないんですね。その後も僕はジャンル的には雑食で、曲単位でハマっていました。そのせいか、10代からつくることに情熱をもったんですよ。ジャンル問わず好きな曲、自分で気に入る歌をつくってみたいというのが大きかったですよね。20代でコーヒーカラーというユニットでポップアーティストとしてクラウンレコードに入ったわけですけど、そこには演歌の本格的な歌手の方がたくさんいたんですね。あの人たちは、その道一本じゃないですか。

飛鳥 演歌歌手は確かにそうですね。

パリ たまたま良いのができて認められてデビューしたら即プロアーチスト!?というような、モヤモヤしたという感じではなくて。僕は、どこに時間をかけるか、何に夢中になったかが人生だと思いますけど、演歌歌手だったら最初から最後まで歌一本が当たり前ですよね。

だから、どんなに小さなチャンスでも、ありがたく、礼儀正しくやりきっていくという姿を見るだけでも、挨拶から何からこっちが引いちゃうぐらいにキチッとしてるんですよ。

杉浦 演歌は違うだろうなぁ。

パリ 演歌の方は若いのに凄いなと。で、その人たちの先輩たちが流しから入って歌い手になってることも知っていて。僕はジャンルとしての演歌ではなく、この演歌歌手の「道」に惹かれました。どんと筋のある修行の道。「道」から生まれ、培われるモノってなんだろう? 流しでオールジャンルを歌いこなしていく中で浮き上がってくる自分の歌とは? そこに市場価値はあるのか? と、いろいろ試したくて流しにハマったんです。

杉浦 仲山さんのその話は初めて聞きましたけど、なるほどと思いました。

パリ 完全にそこしか勝負所がない世界、自分がどんな歌をつくれる、つくれないとか関係ない世界、それが良いんです。

飛鳥 私は小さい頃におばあちゃんに演歌を教えてもらったことがきっかけで歌が好きになって、小さいときから歌手になると決めたて、30歳すぎてからのデビューだったんですけど、こうやってパリさんに出会って流しをやるようになって、本当に良い修行の場だなと思います。この体一本じゃないですか。声1つで。

杉浦 確かに流しはそうですよね。

南米で日本のアニソンは驚くほどの人気

飛鳥 流しは、伴奏していただいたりするけど、どこでもそこを自分のステージにしていかないといけないから良い修行の場だなと思います。日本の歌は歌唱には不利と言われるけど、私は「いやいや、日本の歌はこんなに魂が込められてるんだよ」と世界の人に届けるのが最終的な思いなので、ロベルトさんにいずれ南米に連れてってほしいな。

杉浦 それはやる価値が大いにあると思いますね。面白いな。僕はコロンビアで日本の歌を歌ったことがありますが、いろいろ歌ったなかで一番反応がよかったのはアリスの「遠くで汽笛を聴きながら」でした。これが良いと感じてくれるんだと意外な感じがしました。

パリ 旋律、メロディなのかな。今は千昌夫さんの「北国の春」が中国やアジア全般で人気でしょ。あれ不思議なんだよね。

杉浦 中国の大連に仕事で言ったときに「北国の春」をみんな知って、歌ってるんですよ。本当にビックリした。

飛鳥 日本の曲で、南米で有名な曲ってあるんですか?

杉浦 日本のアニメソングの人気は日本人が考えているレベルじゃないですよ。僕は自分のYou Tubeチャンネルでコロンビアの文化を日本に伝えようと、コロンビアの大学生の女の子に取材したのがあるんですけど、僕の知らないアニメの話をして、アニメソングを次から次へと歌って。この市場は日本人が狙ったら儲かる穴場だと思います。

パリ 確かに、今の日本の音楽はボーカロイド含めて一番オリジナリティがあるかもしれないですよね。驚くほどきめ細かくつくられてますからね。世界ではありえない複雑さですよ。

杉浦 そう、他にないんですよ。コロンビアの人は、あの複雑さが好きなんですって。抽象的な言葉を使った絶望の表現の歌詞があって、「こんなのわかるの?」と聞いたら、「この表現がいい」と。こんなに難しいニュアンスわかるんだと、ぶったまげましたね。

飛鳥 歌も世界がどんどん近くなってますよね。だから日本語のわびさびや喜怒哀楽をよく理解している海外の方は一気に増えたような気がします。

杉浦 そうですね。海外の方もGoogle翻訳で歌詞を見て、内容もわかってるんですよ。だから、僕のほうが彼らから日本の教えを受けて、へーって驚きの連続ですよ。

現代は音楽を映像とともに提供することが大切

飛鳥 ネット社会で世界が近くなって、これからはそういう社会になっていくんだろうなと思いますね。

杉浦 そうですね。日本の音楽業界はネットでどういう音楽を配信していくかというところと、日本人さえ知らないアニメソングをリアルタイムで今日はフランス語圏向け、明日はスペイン語圏向けと展開すると、市場が言語ごとに広がりますよね。そこはこれからのネットと日本の音楽制作者と共同でやっていく大きなビジネスチャンスだと思ってます。

飛鳥 なるほど。アニメソングはそれだけ世界中で認知されていているんですね。

杉浦 認知度は高いですね。日本のアニメは質が高いし、若い人にとっては映画よりも憧れの、あるいは彼らと同じ感覚が行ったこともない日本という国でもあることに感動を覚えるそうです。それでいて自分の国の歌は聴きすぎて飽きているから、日本の歌には新鮮さもあって。

飛鳥 それこそ演歌や歌謡曲も日本ではもう…という感じになってるけど、海外では知られてないだけに新しいジャンルとして浸透していくチャンスがあると思ったりします。

杉浦 そのときに一番大事なのは、音だけじゃなくて、映像とともに音を体感させて、より共感度を示すことです。ストーリーを映像クリエイターとつくりこんであげるといいんですよ、マンガみたいに。人生の苦しみ、悲しみ、望郷の思いなどをストーリーの中で展開して、彼らと共有できるところに演歌という音楽を入れると、ストーンと入ります。これからの音楽には映画やアニメのような視覚的な要素が絶対必要ですね。

パリ 確かにツイッターでもそうですね。静止画もあるなしで反応が違うし、ムービーをつけるとなおさら反応が違います。

杉浦 中国の三峡ダムのニュースも話だけ聞くより、放流の映像を見ると、これは凄いと反応します。映像付きのほうが見る人は勝手に回路が繋がって、ストーリーをつくりあげてくれるんですね。そこを仕掛ける側が考えていくと、日本の音楽をもっと広められると思います。

パリ なるほどなぁ。だから米津玄師は最強なんですね。映像まで自分でつくるからね。映像つくって、作詞作曲、なおかつアレンジ、レコーディングやると。どれだけの仕事量というか。レオナルド・ダヴィンチですか?というレベルだと思いますよ。米津玄師とさかなクンは最強ですよ。

飛鳥 なんで、さかなクン?

以前の仕事の役割は全て忘れたほうがいい

パリ さかなクンもダヴィンチみたいな人ですよ。魚博士で絵から音楽からできるんですから。とは言っても普通はそうもいかない。いろいろな人と組むというのは大切かもね。自分も歳をとる。全てのことはできないから。

飛鳥 だけど、今まで積んできた経験は宝物ですよ。

パリ もちろん今までのことはいいんですよ。でも、これから残された時間は無限じゃない。「これからどう生きるか、何をするか」ということで結果は全く変わるわけじゃないですか。

杉浦 おっしゃる通り、よくわかります。

パリ 今日、明日と繋がっているわけであって、それをどうしていくかは自分で考えないといけないわけですよね。この選択肢の増えた世界でも、時間による平等はお金があろうがなかろうが同じですからね。だからロベルトさんの話を聞いて「映像が大切なのか」と思うと、音楽を一所懸命やってきたものからすると「じゃあどうしようか」と考えはじめるわけですね。

飛鳥 全部1人でやろうとせずに、それを得意とする人たち、好きだと思う人たちと集まってつくりだせばいいんじゃない?

杉浦 もちろん従来のやり方で演歌歌手をやる人がいていいんですよ。ただ、これからの展開を考えるんだったら、古いチーム、仕事の役割は全部忘れたほうがいいと思います。映像をつくる人、録音技術がうまい人、言語ができる人など、違う人や新しい人と組んでやっていかないと潰れちゃうんですよ。ネット配信で求められることは今までと全部変わってくるから、これから来る5Gの世界に準備しておく必要があって。

飛鳥 そうですね。

杉浦 5Gはパソコン1台分のデータを1秒でダウンロードできるぐらいの力をもっていると言われているから、それだけリアリティのあるものを発信することができるようになります。VRをつけてバーチャル世界の中の橋を歩くと本当に怖くて、「人間は視覚と聴覚で現実になっちゃう」ということがよくわかります。そういう世界になると、現実って何かわからなくなります。

飛鳥 見えている世界が、嘘か、真か。

パリ 面白いですね。人が外に出るときに背広を着たり、化粧したりするのと同じように、「ネット上にどう存在しておくか」という存在のさせ方、フォーマットがどんどん手が込んできていて、そういう闘いになってきてますよね。音楽の世界もビジュアルづくりが大切になって、総合力の闘いになっています。

杉浦 「総合プロデュース」という意味がそっちの意味になってますよね。

クリエイターが楽しんでやっている世界には太刀打ちできない

パリ アニメはまさに総合力の世界で、一流クリエイターが集まって、ストーリーを書く人、絵を描く人、プロの声優が入って、えりすぐりの作家がつくった主題歌をえりすぐりの歌手が歌う。こういう粋を集めた世界です。その5分間の主題歌は映画を凝縮した映像になっていて、情報量の深みは凄いものがあります。一方、我々のようなミュージシャンは、ライブだったらとにかく、カメラの前でただ歌を歌うとなると分が悪いと言わざるを得ないですよね。

杉浦 本当にそうですね。カメラの前で歌うのと、ライブは分けて考えたほうがいい。

パリ ニコ動文化を見ても、やっぱりクリエイターが持ち寄ってるわけです。映像だけ、曲だけ、歌だけ入れる人、アレンジする人、全部別れていて、みんなボランティアじゃないけどお金じゃなくて、クリエイターが楽しんでやってる世界です。

飛鳥 そうなんだ。

パリ だから「純度が高い」というかね。そこではそれぞれが生かしあってるだけだから、逆に自己主張がない。単に歌手が「少しでも売れたい」と売り出すだけでは彼らのつくるものに対して太刀打ちできない。並大抵では足らない。「素敵なものをみんなで集めて、ただ楽しむだけ」というものが人の目を集めてるということなんですよね。

飛鳥 楽しい、好きってエネルギーだよね。それが人の気持ちを掴んで動かしていて。

パリ そうですね。金銭的なものじゃなくて、お互いを認め合った人たちが集まって、面白いことやろうぜとエネルギーが生まれて。これまでの歴史を見ても、新しい音楽のジャンルを生まれた瞬間ってありますよね。タンゴが生まれた瞬間もあるわけで、「このリズム最高だぜ」と盛り上がったと思うんですけど、それは「金のために生み出したか」というと、絶対に違うと思うんです。

杉浦 その通り、お金じゃない。純粋に「あのリズムはいいけど、俺たちで違うものつくろう」、それだけですよ。金ありきで考えたらダメですね。

飛鳥 パリさん、私たちもお金じゃないプロジェクトを立ち上げませんか?

パリ このオンライン横丁も、一期一会カタリバ横丁も、まさにそうですよ。

杉浦 そうですね。これがはじまりですよ、素晴らしい企画だと思います。

飛鳥 ロベルトさんもオン横ファミリーの仲間入りということで、これからそれぞれが持ち寄って、面白いことをやりたいですね!

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編集・構成 廣田喜昭(代官山ブックス)

「一期一会カタリバ横丁」が開催されているオンライン横丁の総合案内
https://www.nagashi-group.com/online-yokocho

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